亀山こども歴史館トップページ 古典(こてん)に出(で)てくる亀山そのほかの場所(ばしょ)

[古典(こてん)に出(で)てくる亀山(かめやま)]むかしから、たくさんの人々(ひとびと)が行(ゆ)き来(き)する亀山(かめやま)には、旅人(たびびと)が見(み)たり、聞(き)いたりしたことが歌(うた)や日記(にっき)などさまざまな文学作品(ぶんがくさくひん)の中(なか)にとりあげられてきました。

そのほかの場所(ばしょ)

鈴鹿山(すずかやま)・鈴鹿川(すずかがわ)以外(いがい)でも亀山(かめやま)のいろいろな場所(ばしょ)が和歌(わか)によまれています。どんな歌(うた)があるのか調(しら)べてみましょう。

 

都追美井(つつみい)

「万葉集(まんようしゅう)」(14-3439)にうたわれた「堤井(つつみい)」(都追美井(つつみい))は、関町古厩(せきちょうふるまや)に所在(しょざい)する大井神社(おおいじんじゃ)の井戸(いど)とされています。「鈴(すず)が音(ね)の 早馬駅家(はゆまうまや)の 水(みず)を給(たま)へな 妹(いも)が直手(たたて)よ」(鈴(すず)の音(おと)がなりひびく急(いそ)ぎの馬(うま)が行(ゆ)き交(か)う、駅家(うまや)にいるあなたの手(て)から直接(ちょくせつ)(みず)を飲(の)ませてください)という恋(こい)の歌(うた)です。

 

湯津盤村(ゆついわむら)

万葉集(まんようしゅう)巻(1−22)に、吹黄刀自(ふきのとじ)が伊勢神宮(いせじんぐう)へ斎王(さいおう)としておもむく十市皇女(とおちのひめみこ)の幸(しあわ)せを願(ねが)ってよんだ歌(うた)があります。
 「河上(かわのへ)のゆついは村(むら)に草(くさ)むさず つねにもがもな とこ乙女(おとめ)にて」(河上(かわかみ)にある岩山(いわやま)の、草(くさ)がはえないで姿(すがた)がかわらないように、あなたもいつまでも若々(わかわか)しいままでいてください)「河上(かわのへ)のゆついは村(むら)」とは、現在(げんざい)の関町泉が丘(せきちょういずみがおか)のあたりにあった「ゆつは村(むら)」のことではないかと言(い)われています。

 

(こと)の橋(はし)

かつて天皇家(てんのうけ)の宝物(たからもの)のひとつに和琴(わきん)の「鈴鹿(すずか)」がありました。この琴(こと)は鈴鹿川(すずかがわ)にかかっていた橋(はし)として使(つか)われていた桐(きり)の板(いた)でつくられたことから「鈴鹿(すずか)」とよばれました。平安時代(へいあんじだい)の歌人(かじん)である藤原俊成(ふじわらのとしなり)が「鈴鹿川(すずかがわ)(きり)の古木(こぼく)の丸木橋(まるきばし)これもや琴(こと)の音(ね)に通(かよ)うらん」と歌(うた)によんでいます。

 

えぞ桜(ざくら)

地蔵院(じぞういん)の庭(にわ)の奥(おく)に「えぞ桜(ざくら)」と呼(よ)ばれた桜(さくら)のきりかぶがあります。むかし「えぞ」(東北地方(とうほくちほう))から来(き)た旅人(たびびと)が、つえとしていた枝(えだ)から根(ね)がでて木(き)に成長(せいちょう)したと伝(つた)えられます。「えぞ」からきた桜(さくら)ということで「えぞ桜(ざくら)」とよばれます。平安時代末(へいあんじだいまつ)の歌人(かじん)である藤原定家(ふじわらのさだいえ)も「えぞ桜(ざくら)」を和歌(わか)によんでいます。「えぞすぎぬ これや鈴鹿(すずか)の関(せき)ならん ふりすてがたき 花(はな)の景(かげ)かな」

 

鈴鹿関(すずかのせき)

1202年(ねん)(建仁(けんにん)2年(ねん))の歌集(かしゅう)である「水無瀬恋十五首歌合(みなせこいじゅうごしゅうたあわせ)」に、藤原良経(ふじわらのよしつね)がよんだ鈴鹿関(すずかのせき)の歌(うた)がのせられています。「我(わ)が恋(こい)や このよを関(せき)と鈴鹿川(すずかがわ) すずろにそでのかくはしをれし」

 

ノボノ

ヤマトタケルがなくなる直前(ちょくぜん)にノボノでよんだという歌(うた)が「古事記(こじき)」にのせられています。ヤマトタケルがうまれた大和(やまと)(奈良県(ならけん))をおもってよんだ「国偲歌(くにしのびうた)」です。「やまとは 国(くに)のまほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山(やま)こもれる やまとしうるわし」

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