鈴鹿山(すずかやま)
伊勢国(いせのくに)(三重県(みえけん))から近江国(おうみのくに)(滋賀県(しがけん))にぬける峠道(とうげみち)のまわりにある山(やま)は、まとめて「鈴鹿山(すずかやま)」とよばれていました。都(みやこ)が奈良(なら)(平城京(へいじょうきょう))から京都(きょうと)(平安京(へいあんきょう))にうつると、886年(ねん)(仁和(にんな)5年(ねん))、都(みやこ)からの道(みち)は加太(かぶと)から奈良(なら)にぬけるコースから鈴鹿峠(すずかとうげ)を越(こ)えるコースへと変(か)わりました。この新(あたら)しい峠道(とうげみち)は阿須波道(あすはみち)とよばれました。都(みやこ)と東日本(ひがしにほん)とを結(むす)ぶ重要(じゅうよう)な道(みち)が通(とお)ることとなった鈴鹿山(すずかやま)は、伊勢神宮(いせじんぐう)などへ向(む)かうたくさんの旅人(たびびと)が通(とお)るとともに、道(みち)がけわしく盗賊(とうぞく)もよくでましたので、東海道(とうかいどう)の難所(なんしょ)として有名(ゆうめい)でした。