本多俊次(ほんだとしつぐ)の大失敗(だいしっぱい)
本多俊次(ほんだとしつぐ)が亀山城(かめやまじょう)の修理工事(しゅうりこうじ)をおこなっていたときのことです。桑名(くわな)(桑名市(くわなし))城主(じょうしゅ)の松平定綱(まつだいらさだつな)が本多俊次(ほんだとしつぐ)の工事(こうじ)をはげましにゆくために使(つか)いの者(もの)を亀山(かめやま)につかわしました。ところが使者(ししゃ)は思(おも)ったより朝(あさ)早(はや)く亀山(かめやま)についたところ、本多俊次(ほんだとしつぐ)が工事現場(こうじげんば)にいなかったため、「城主(じょうしゅ)が朝寝坊(あさねぼう)していては工事(こうじ)もなかなか進(すす)まないだろう」と伝(つた)えて帰(かえ)ってしまいました。本多俊次(ほんだとしつぐ)はあわてて使者(ししゃ)を追(お)いかけてようやく石薬師(いしやくし)(鈴鹿市(すずかし)石薬師町(いしやくしちょう))でおいついておわびしました。本多俊次(ほんだとしつぐ)は、このあともずっと朝寝坊(あさねぼう)したことをくやんでいたそうです。