一休(いっきゅう)さんと関(せき)の地蔵(じぞう)
むかし関地蔵院(せきじぞういん)本尊(ほんぞん)をつくりなおしたときに、その供養(くよう)をちょうど通(とお)りかかった一休(いっきゅう)さんにお願(ねが)いしました。一休(いっきゅう)さんは、「釈迦(しゃか)は過(す)ぎ弥勒(みろく)はいまだ出(い)でぬ間(ま)のかかる浮世(うきよ)に目明(めあか)しめ地蔵(じぞう)」と唱(とな)えると、地蔵(じぞう)におしっこをかけて行(い)ってしまいました。里(さと)の人々(ひとびと)はびっくりしてもう一度(いちど)別(べつ)の坊(ぼう)さんにたのんで供養(くよう)をやりなおしました。すると、その夜(よる)に里(さと)の人(ひと)の夢(ゆめ)の中(なか)に地蔵(じぞう)さんが出(で)てきて、もう一度(いちど)一休(いっきゅう)さんにやりなおしてもらうようにいいました。ところが一休(いっきゅう)さんは用(よう)があって関(せき)まで戻(もど)ることができませんでしたので、かわりに自分(じぶん)のつけていたふんどしを地蔵(じぞう)さんの首(くび)にかけるようにとわたしたといいます。今(いま)でも関(せき)の地蔵(じぞう)さんが前(まえ)かけをしているのは、一休(いっきゅう)さんのふんどしの名(な)ごりです。