筆捨山(ふですてやま)
そのむかし、有名(ゆうめい)な画家(がか)の狩野元信(かのうもとのぶ)が東海道(とうかいどう)を旅(たび)していました。その途中(とちゅう)に、沓掛(くつかけ)(関町沓掛(せきちょうくつかけ))の景色(けしき)のよい山(やま)を見(み)つけて絵(え)に描(か)こうと筆(ふで)をとりました。ところが、山(やま)の景色(けしき)がつぎつぎと変(か)わってしまうのでとうとう絵(え)を描(か)くことをあきらめ、筆(ふで)を投(な)げ捨(す)ててしまったことからこの名(な)がついたと伝(つた)えられます。江戸時代(えどじだい)から景色(けしき)のよい場所(ばしょ)として有名(ゆうめい)で、浮世絵(うきよえ)では坂下(さかした)といえばほとんどのものが筆捨山(ふですてやま)が描(か)かれています。