大洪水(だいこうずい)のはなし
亀山(かめやま)の歴史(れきし)の中(なか)には、何度(なんど)も大洪水(だいこうずい)に襲(おそ)われたことがわかっています。鈴鹿川(すずかがわ)や安楽川(あんらくがわ)は細(こま)かく曲(ま)がって流(なが)れているため、よく洪水(こうずい)がおこる川(かわ)でした。どんな大洪水(だいこうずい)があったのか調(しら)べてみましょう。
亀山(かめやま)の大洪水(だいこうずい)
慶安(けいあん)の大洪水(だいこうずい)
1650年(ねん)(慶安(けいあん)3年(ねん))にこの地域(ちいき)に大洪水(だいこうずい)がおそいました。この洪水(こうずい)で坂下宿(さかしたしゅく)は全部(ぜんぶ)押(お)し流(なが)されてしまいましたので、翌年(よくねん)東(ひがし)に800mほど下(くだ)ったところに移(うつ)り住(す)むことになりました。亀山(かめやま)では亀山城(かめやまじょう)の銭庫(ぜにこ)が流(なが)されています。また、野尻村(のじりむら)(布気町(ふけちょう))からは、洪水(こうずい)で家(いえ)が流(なが)され田畑(たはた)に砂(すな)がながれこんで全(まった)く収穫(しゅうかく)ができないような状態(じょうたい)なので、堤防(ていぼう)を直(なお)す工事(こうじ)に人(ひと)を出(だ)すことをしばらく待(ま)ってほしいという願(ねが)いを亀山藩(かめやまはん)に提出(ていしゅつ)しています。
昭和(しょうわ)の大洪水(だいこうずい)
最近(さいきん)もっとも大(おお)きな被害(ひがい)を出(だ)した洪水(こうずい)は、1974年(ねん)(昭和(しょうわ)49年(ねん))7月(がつ)25日(にち)からの集中豪雨(しゅうちゅうごうう)による洪水(こうずい)です。安楽川(あんらくがわ)沿(ぞ)いを両尾町(ふたおちょう)や辺法寺町(へんぼうじちょう)は多(おお)くの家(いえ)が流(なが)され孤立(こりつ)しました。また川合町(かわいちょう)や亀山駅(かめやまえき)周辺(しゅうへん)も水没(すいぼつ)するなどの大被害(だいひがい)を受(う)けました。