亀山こども歴史館トップページ 亀山のむかしばなし平資盛(たいらのすけもり)と関氏(せきし)

[亀山のむかしばなし]亀山(かめやま)で言(い)い伝(つた)えられてきた話(はなし)を集(あつ)めてみました。むかしの人々(ひとびと)はどんな話(はなし)をわたしたちにのこしてくれたのでしょうか。

平資盛(たいらのすけもり)と関氏(せきし)

平安時代(へいあんじだい)の終(お)わりごろ平氏(へいし)は力(ちから)を大(おお)きく伸(の)ばしました。このため平氏(へいし)はいままでの苦労(くろう)も忘(わす)れておごりたかぶるようになり、とうとう清盛(きよもり)の孫(まご)の平資盛(たいらのすけもり)が摂政藤原基房(せっしょうふじわらのもとふさ)の行列(ぎょうれつ)と争(あらそ)いをおこしました。しかたなく平氏(へいし)は平資盛(たいらのすけもり)を伊勢(いせ)で謹慎(きんしん)させることにしました。この時(とき)、資盛(すけもり)が住(す)んだのが久我(くが)(関町久我(せきちょうくが))で、地元(じもと)のむすめとの間(あいだ)に男(おとこ)の子(こ)がさずかりました。この子(こ)どもが平盛国(たいらのもりくに)で関氏(せきし)の先祖(せんぞ)となったされます。

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