がもじがきた
1583年(ねん)(天正(てんしょう)11年(ねん))2月(がつ)に羽柴秀吉(はしばひでよし)(のちの豊臣秀吉(とよとみひでよし))が大軍(たいぐん)を率(ひき)いてせめこんできたときに、先頭(せんとう)をまかされたのは蒲生氏郷(がもううじさと)でした。蒲生氏郷(がもううじさと)は勇敢(ゆうかん)な武将(ぶしょう)でしたので、敵(てき)をうちまかすとともに、野登(ののぼり)や川崎(かわさき)の村(むら)や寺(てら)などを焼(や)き払(はら)っていきました。戦(たたか)いが終(お)わったあと人々(ひとびと)は蒲生氏郷(がもううじさと)を鬼(おに)のように怖(こわ)い人(ひと)だとおもいました。このため、野登(ののぼり)や川崎(かわさき)では、むかしから子(こ)どもが言(い)うことを聞(き)かなかったときなどに「言(い)うことを聞(き)かないとガモジがくるぞ」などと言(い)います。「がもじ」とは「蒲生氏(がもうし)」がなまったものと言(い)われます。