鍛冶屋(かじや)の与助(よすけ)
亀山城(かめやまじょう)の本丸(ほんまる)となったところには、鍛冶屋(かじや)の与助(よすけ)の屋敷(やしき)がありました。城(しろ)を築(きず)くときに、与助(よすけ)の屋敷(やしき)を他(ほか)に移(うつ)しましたが、屋敷(やしき)にあった井戸(いど)はそのまま城(しろ)の井戸(いど)として使(つか)いましたので、与助井戸(よすけいど)とよばれました。与助井戸(よすけいど)のあとは、多門櫓(たもんやぐら)の下(した)に木枠(きわく)で示(しめ)してあります。