関(せき)の小万(こまん)
久留米藩士(くるめはんし)の娘(むすめ)で、かたき討(う)ちの旅(たび)の途中(とちゅう)で、関宿(せきじゅく)山田屋(やまだや)で産(う)まれたとされます。母親(ははおや)がまもなく亡(な)くなったので山田屋(やまだや)にひきとられました。大(おお)きくなってから父(ちち)のかたきを討(う)つために亀山(かめやま)の道場(どうじょう)に通(かよ)い剣術(けんじゅつ)の修業(しゅぎょう)をしました。1781年(ねん)(天明(てんめい)3年(ねん))についにかたきを討(う)つことができたといいます。その後(あと)は育(そだ)ててくれた山田屋(やまだや)で働(はたら)き1803年(ねん)(享和(きょうわ)3年(ねん))になくなったといわれます。福蔵寺(ふくぞうじ)(関町木崎(せきちょうこざき))には小万(こまん)の墓(はか)とされる地蔵(じぞう)と小万(こまん)の記念碑(きねんひ)があります。