石井兄弟(いしいきょうだい)のかたきうち
1701年(ねん)(元禄(げんろく)14年(ねん))、亀山城(かめやまじょう)石坂門(いしざかもん)の外(そと)で亀山藩士(かめやまはんし)の赤堀水之助(あかぼりみずのすけ)が石井半蔵(いしいはんぞう)・源蔵(げんぞう)兄弟(きょうだい)によってうちとられました。石井兄弟(いしいきょうだい)は父(ちち)を赤堀水之助(あかぼりみずのすけ)に殺(ころ)されていましたので、28年(ねん)をかけて水之助(みずのすけ)を探(さが)し出(だ)しついに父(ちち)のかたきをとったのでした。この話(はなし)は、歌舞伎(かぶき)や読(よ)みもの、浮世絵(うきよえ)などにとりあげられ、多(おお)くの人々(ひとびと)に知(し)られるようになりました。敵討(かたきう)ちがおこなわれた場所(ばしょ)の近(ちか)くには記念碑(きねんひ)が建(た)てられています。