オトタチバナヒメ
ヤマトタケルのおきさきで、ヤマトタケルとともに東日本(ひがしにほん)へ向(む)かいましたが、走水(はしりみず)の海(うみ)(今(いま)の東京湾(とうきょうわん))で嵐(あらし)にあい、海(うみ)の神(かみ)のいかりをしずめるためのいけにえとなるために、海(うみ)に身(み)をなげてなくなりました。
ヤマトタケルのかなしみ
オトタチバナヒメをなくしたヤマトタケルは、関東地方(かんとうちほう)をはなれるときに、「あがつまゆ(ああ、わたしの妻(つま)よ)」となげきかなしんだので、それから関東地方(かんとうちほう)のことを「あずま」とよぶようになったといいます。
オトタチバナヒメのふるさと
亀山(かめやま)には、オトタチバナヒメは、忍山神社(おしやまじんじゃ)をまつるオシヤマノスクネのむすめであるとの言(い)い伝(つた)えがあります。