椀久塚(わんきゅうづか)
むかし阿野田村(あのだむら)(阿野田町(あのだちょう)・天神(てんじん))に椀屋久兵衛(わんやきゅうべえ)という木(き)の椀(わん)を作(つく)る名人(めいじん)がいました。久兵衛(きゅうべえ)がなくなった後(あと)、村(むら)の人々(ひとびと)は久兵衛(きゅうべえ)の屋敷(やしき)あとに塚(つか)を築(きず)き、椀久塚(わんきゅうづか)とよんでいました。村(むら)の人(ひと)が結婚式(けっこんしき)などでお客(きゃく)に料理(りょうり)を出(だ)す膳(ぜん)や椀(わん)がたらないときは、この塚(つか)にたらない分(ぶん)を貸(か)してほしいとお願(ねが)いすると翌朝(よくちょう)その人数分(にんずうぶん)の膳(ぜん)と椀(わん)が塚(つか)においてあり、使(つか)い終(お)わって塚(つか)に膳(ぜん)と椀(わん)を返(かえ)すといつのまにか消(き)えていたと言(い)いつたえられています。