第5章 近代・現代の亀山

3.生活 〜食〜

むかしのくらし 〜しょく

 むかしのくらしは、今とどのようにちがうのでしょうか。“しょく”の場面ばめん使つかわれた道具どうぐを見てみましょう。電化製品でんかせいひん使つかわれていないことが、大きな特徴とくちょうです。道具どうぐ材料ざいりょうも木や竹が中心になっていて、今とはちがいます。だんだんと便利べんりになっていく様子ようすがわかります。


食事しょくじ呼称こしょう時間帯じかんたい
  朝食 昼食 小昼 夕食
呼称こしょう あさめし ひるめし こびる ゆうめし
食事
時間
5時〜6時頃 11時〜11時30分 3時〜4時 6時〜7時頃
6時〜7時頃 6時〜7時頃
(亀山市史民俗編より)

氷冷蔵庫こおりれいぞうこ
氷冷蔵庫こおりれいぞうこ

(亀山市歴史博物館所蔵豊田家寄贈資料)


こおりで冷やす冷蔵庫れいぞうこです。氷は、氷屋さんから購入こうにゅうしました。このような氷冷蔵庫こおりれいぞうこ普及ふきゅうするまでは、夏期は食べ物がいたみやすいため、温度が比較的ひかくてきひく井戸いどの中へつるして一時的に保管ほかんしました。
氷冷蔵庫こおりれいぞうこ内部ないぶは、2段になっており、氷のかたまり上段じょうだんに入れ、冷やしたいものを下段げだんに入れます。中には、氷がけてできた水をながすパイプが通っています。パイプは、冷蔵庫れいぞうこの下まで通りけており、水はそのまま外へ排出はいしゅつされます。


米櫃こめびつ
米櫃こめびつ


(亀山市歴史博物館所蔵北村家寄贈資料)
容器ようき陶製とうせいふた木製もくせいとなっています。ふた密閉性みっぺいせいたもたれるよう、ぴったりとまります。


ます
ます

(亀山市歴史博物館所蔵川戸家・小坂家寄贈資料)


様々さまざま容積ようせきをはかることができます。今の計量けいりょうカップのことです。1ごうやく180mL)・5ごうやく900mL)・1しょうやく1.8L=10ごう)・1やく18L=10しょう)があります。


かまど
かまど


煙突がついたタイル張りのかまど(山下町)

「おくどさん」で煮炊きする様子(布家町)
 かまどは煮炊にたきをするためのもので、「おくどさん」や「くど」と呼ばれていました。土で作られたかまどである「つちくど」は、煙突えんとつがないため、煙は屋根裏やねうらから直接ちょくせつ外へ抜け出ていました。戦後せんごになると、煙突がついたかまど(レンガ積みのものなど)が普及ふきゅうし始め、その後、セメントで表面ひょうめんにタイルをったものが使われるようになりました。


羽釜はがま
羽釜はがま


(亀山市歴史博物館所蔵石見家寄贈資料)
炊飯すいはん湯沸ゆわかしなどに使います。おくどさん(かまど)で、火にかけます。いたご飯は飯櫃めしびつうつし、食事の場へはこびます。


電気炊飯器でんきすいはんき
電気炊飯器でんきすいはんき(ナショナル製/昭和しょうわ30年代)


(亀山市歴史博物館所蔵倉田家寄贈資料)
電気式でんきしき炊飯器すいはんきは、1921年(大正たいしょう10年)にかまどの中に電熱線でんねつせんを組み込んだ炊飯電熱器すいはんでんねつき発売はつばいされたことに始まります。この時の炊飯器すいはんきは、火加減ひかげん手動しゅどうで行う必要ひつようがありました。
昭和しょうわ30年代になって、現在の炊飯器すいはんきと同じように、自動じどう炊飯すいはん保温ほおんもできる製品せいひん発売はつばいされました。


飯櫃めしびつ・よさ
飯櫃めしびつ・よさ


飯櫃

よさ
(亀山市歴史博物館所蔵大川家寄贈資料)

かま炊飯すいはんした後、きあがったご飯を飯櫃めしびつうつしました。飯櫃めしびつは、木でできていたため、吸水性きゅうすいせい保温性ほおんせいすぐれており、ご飯を美味おいしくたもつことができました。
 冬はすぐにえてしまうので、さらに、わらでできた「よさ」(めしふご)に入れて保温ほおんしていました。保温性ほおんせいすぐれているというわら特性とくせいを生かした製品せいひんで、昔の人の工夫くふうがうかがえます。


飯籠めしかご
飯籠めしかご


(亀山市歴史博物館所蔵原家寄贈資料)
 ご飯を毎食まいしょくくのは大変たいへんだったので、朝に昼食の分も一緒いっしょいたり、時には3食分を1度にいたりすることもありました。しかし、今のような長時間保温ほおんができる炊飯器すいはんきがなかった時代は、夏にいたご飯をかまに入れっぱなしにしておくと、ご飯がいたむため、通気性つうきせいのよい飯籠めしかごに入れ、風の通りがよい軒下のきしたなどにつるしていました。


箱膳はこぜん
箱膳はこぜん


(亀山市歴史博物館所蔵今井家寄贈資料)
 家族の一人一人が、それぞれ自分の飯椀めしわん汁椀しるわん小皿こざらはしを持っていました。それらを入れておくはこです。食事の時には、自分の箱膳はこぜんを使い、ふたを裏がえしてはこの上にき、それをつくえがわりとしました。食事の後は、お茶でそれぞれのわんかるくゆすぎ、それをしてそのまま箱膳はこぜんにしまっていました。水で食器しょっきあらうのは3、4日に1度か1週間に1度くらいでした。市内では昭和しょうわ30年頃まで使われていたことがわかっています。


卓袱台ちゃぶだい
卓袱台ちゃぶだい


(亀山市歴史博物館所蔵渡辺家寄贈資料)
たたみ式の食卓しょくたくです。一人一人がおぜん箱膳はこぜんで食事をする形から、家族で集まり、食卓しょくたくかこんで食事をする形へと変わりました。
 市内の加太地区かぶとちくでは、1941年(昭和しょうわ16年)頃から卓袱台ちゃぶだいを使用した家もありました。卓袱台ちゃぶだいを使うようになると、食器しょっきはそのつどあらうようになりました。


わっぱ
わっぱ(げわっぱ)

(亀山市歴史博物館所蔵近澤家寄贈資料)

 わっぱはスギやヒノキなどをうすくした板をげて作られ、県内では、尾鷲おわせ地域ちいきがわっぱの産地さんちとして有名ゆうめいです。わっぱの利点りてんは、木が適度てきど湿気しっけを吸うので、現在のようなプラスチックや金属製きんぞくせい弁当箱べんとうばこちがって、ご飯が水っぽくならず冷えても美味おいしく保てます。
わっぱは、市内では「おかわ弁当」や「はんご」とも呼ばれました。ふたが深く作られていますので、ふたの両方にご飯をめ、2食分を入れることができました。山仕事(林業)や野良のら仕事(農業)でも持参していました。おかずは主に、梅干しや漬け物でした。


弁当箱べんとうばこ
弁当箱べんとうばこ

(亀山市歴史博物館所蔵井野家寄贈資料)

 男の子用の青い弁当箱べんとうばこには飛行艇ひこうてい乗客船じょうきゃくせんの絵がえがかれています。女の子用の赤い弁当箱べんとうばこには、木蓮もくれんの絵がえがかれています。日興工業製にっこうこうぎょうせいのアルマイトの弁当箱べんとうばこです。中には、おかずを別に分けられる入れ物がついています。


弁当箱べんとうばこ
弁当箱べんとうばこ組立式くみたてしき

(亀山市歴史博物館所蔵井野家寄贈資料)

 アルマイトの組立式くみたてしき弁当箱べんとうばこです。食べた後、分解ぶんかいして小さく収納しゅうのうできる画期的かっきてきなものでした。


提重さげじゅう
提重さげじゅう提重箱さげじゅうばこ



(亀山市歴史博物館所蔵西谷家寄贈資料)

 主に、花見などの行楽用こうらくように使われた手提てさげ式の弁当箱べんとうばこです。これは、漆塗うるしぬりの木製の弁当箱べんとうばこです。箱の中は、下段げだんにご飯を入れる箱、上段じょうだんにはおかずを入れる小さな重箱じゅうばこやお酒を入れる水筒すいとうわんなどを収納しゅうのうし、外箱のふたはおぼんとしても使えるように工夫くふうされています。