亀山市歴史博物館
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江戸時代の
武士達

新政府による
新しい制度

亀山の
士族たちの動向

元大名石川家と
亀山の士族たちの絆

1.江戸時代の武士たち

 明治時代になり、江戸時代の武士達は華族かぞく士族しぞくとなり、帯刀などの既得権も剥奪され、生活が一変します。ここでは、江戸時代の武士の仕事や私生活の一部を紹介し、そもそも、華族や士族となる前の江戸時代の武士達がどのように暮らしていたのかについて簡単に紹介します。



①役職(仕事)は家につくもの?

 江戸時代の武士には、身分の序列が存在しました。江戸時代では、多くの武士は「家」単位で大名家などに召し抱えられましたので、家臣団の中で、この身分の序列は「家格」という形で表されました。そしてこの家格に見合った役職(仕事)が個人ではなく、家に与えられました。したがって、通常、家督を継いだ男子は、父親と同じ役職(仕事)に自動的に就くことができました。しかし、家臣である限り、現在の私達のように、自由に仕事を選ぶことはできなかったのです。



[1-1] 
[1-1]
 この史料には、大名石川家の家臣について、役職ごとに家臣の名前が記されています。役職名は組頭くみがしら(家老)を筆頭に65あり、332人の家臣の名前が記されています。その中には役職ではなく、家臣の格を表す「虎間とらま」や「広間ひろま」として記されている家臣もいます。
1-1:分限帳・定書ほか控帳 江戸時代
館蔵天野家文書36-37

1-1の史料にみる大名石川家の役職
役職等 人数
(人)
最高 最低
組頭 600石 400石
旗奉行 350石
先乗 200石
者頭 300石 150石 10
家中 400石 5人扶持 56
小児 175石 60石
奏者番 400石 100石
大小姓 150石 10石3人扶持
虎間 150石 8石 18
徒目付 50石 10石
広間 50石 8石 19
用人 300石 200石
小姓 10石3人扶持 銀10枚3人扶持
100石 10石 11
祐筆 100石 50石
次番 11人扶持
書預 12石 11石
医師 200石 80石
年寄 400石 300石
奉行 200石 150石
大目付 150石 100石
寺社町奉行 150石 100石
作事奉行 150石 100石
山奉行 100石 100石
代官 100石 50石
鉄砲預り 50石 50石
知行蔵 70石 8.5石2人扶持
惣武具 50石 50石
金土蔵 50石 50石
勘定頭 50石 10石2人扶持
細工所頭 10石
山方目付 12石2人扶持
作事目付 11石2人扶持
御殿預り
并封付屋敷預り
11石2人扶持 10石
中間頭 10石2人扶持 10石2人扶持
十日番御用達 7.5石 5.5石2人扶持
平勘定人 50石 2俵 17
切米蔵 8石2人扶持 5石2人扶持
扶持蔵 8石 7石2人扶持
小土蔵 7.5石2人扶持 6石2人扶持
封付 7石2人扶持 6.5石2人扶持
十日番 7.5石2人扶持 金3両
膳夫 6石2人扶持
木蔵下役 7.5石2人扶持 11俵2人扶持
買使 7石2人扶持
紙蔵 5石2人扶持 7俵2人扶持
肴部屋 7石2人扶持
細工所 7石2人扶持 5俵2人扶持
舂屋 7石2人扶持 5石2人扶持
外科 6.8石2人扶持
大工 5.5石2人扶持
御台所番 5俵2人扶持 5俵
顕妙院様附 100石 9俵
賄方 50石 8.5石2人扶持
物書 8石2人扶持 3俵
厩方 9石2人扶持 4俵
供回り頭 7.3石 7石2人扶持
料理人 10石2人扶持 4俵1人扶持
坊主 50石 2俵 10
嫡子 未記載 未記載 16
隠居 150石 白銀10枚3人扶持 17
大坂留守居 150石
大坂留守居役人 12石2人扶持 8.3石2人扶持
京都留守居 80石
京都留守居役人 50石 7石2人扶持
小目付 未記載 未記載
郷廻り 6.8石2人扶持 6石2人扶持
殺生人 未記載 未記載


[1-2]
[1-2]
 この史料は、大名石川家の家臣の系図をまとめたものです。合計3冊あります。この系図から、その家がどれくらいの家格で、どんな役職に就く家なのかを調べることができます。
1-2:秘書当藩系図ひしょとうはんけいず 寛延2年(1749)
岡嶋家文書654~656

[1-3] 
1-3:由緒書 加藤内膳光施
元治元年(1864)
館蔵加藤(明)家文書
73-0-18
[1-3]
 この由緒書は、家老を勤めた加藤内膳光施の由緒書です。加藤家は代々組頭くみがしら(家老)を勤める家柄です。最初は小姓こしょうなどの役職につきますが、この段階では家臣として正式採用ではなく、現在でいう非常勤職員です。家督を相続することで正式採用となり、組頭(家老)の役職に就くことができました。正式採用かどうかは俸禄ほうろく(給料)の支払われ方から判断することができます。

[1-4] 
1-4:今井家由緒書
寛政11年(1799)
安政5年(1858)
元治元年(1864)
明治元年(1868)
館蔵今井家文書
[1-4]
 この4冊の由緒書は、代々厩方うまやかたを勤めた今井家の由緒書です。最初は厩方見習いとして採用されています。天保てんぽう2年(1831)2月7日、今井宇右衛門(徳四郎)の時に厩方頭取を勤めました。
 また、今井宇右衛門(城右衛門)は、厩方見習いとして採用される以前の天保てんぽう7年(1836)8月22日に、厩方の人が少ないという理由で厩方に臨時で雇われています。

[1-5] 
1-5:覚 江戸時代
館蔵中田・松井家文書104
[1-5]
 「第一忠孝忘却有之間鋪候事だいいちちゅうこうぼうきゃくこれあるまじきそうろうこと」(第一に忠孝を忘れない事)の一文から始まる石川家家臣の松井家の家訓です。傍輩との付き合い方や、召使いの下男・下女の接し方、武具・馬具・諸道具についてや、着物についての士の心得などが記されています。

[1-6]
[1-6]
寛政かんせい元年(1789)~文政ぶんせい7年(1824)まで組頭くみがしら役を務めた加藤采女かとううねめ(光大)の肖像画です。武士の象徴であるまげと刀を差しています。刀は脇差わきざしのみを差していることから、殿中でんちゅうでの姿を描いたのでしょうか。服装はかなり正式なもので袴は長袴ながばかまを着用しています。
1-6:絹本着色加藤采女かとううねめ肖像画 江戸時代
館蔵史料

[1-7]
1-7:高帳・給帳
文化7年~文化2年
(1810~1811)
加藤(明)家文書
2-15-138・139
[1-7]
 この史料は、家臣達の給与を書き上げたものです。高帳には家禄かろくを与えられている家臣の知行方が書かれています。「600石」のように石高で書かれています。
 これに対し、個人に対して禄が与えられている武士は、一般的に「蔵米くらまい」とよばれる「切米きりまい」や、1人分1日米5合として計算される「扶持米ふちまい」を貰うので、石高以外にも、「人扶持」や「米「○○」、「金「両」のように書かれています。そして切米だけでなく、扶持米も共にもらっている武士もみられます。

[1-8] 
1-8:勢州亀山御領分
八拾三ヶ村百姓騒動記
明和5年(1768)
館蔵牧野家文書
[1-8]
 これは、明和5年(1768)の百姓一揆について書かれたものです。この中に、御用商人の鮫屋源兵衛さめやげんべえが、御蔵米おくらまいを買い占め、残らず領外へ売り払い、扶持方ふちかたには、安い伊賀米を買い入れて渡していたことが書かれています。亀山での武士の俸禄ほうろくがどのような流れで支給されていたのかは、あまり分かっていませんが、扶持米の支給に商人が関わっていたことがこの史料からわかります。