木下古墳と同じく、昭和39年(1964)、名阪国道の建設予定地内にあるとの理由により、太岡寺(たいこうじ)古墳群(太岡寺町)の発掘調査が実施されました。7月15日から27日まで2号墳〜5号墳、8月17日から31日まで1号墳と6号墳を調査しました。鈴鹿市文化財調査委員と三重県立博物館学芸員が担当し、郷土史クラブ員も参加して行われました。
発掘調査後は、クラブ活動の中で、遺物整理と実測図の作成を行い、そして学園祭で成果を展示しています。発掘調査から結果の公表までを行っており、協力者という立場というよりも調査の中心的役割を担ったといえます。
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現在の太岡寺古墳群
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33.須恵器提瓶
太岡寺古墳群6号墳 古墳時代後期(5世紀末〜7世紀初め) 三重県埋蔵文化財センター
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須恵器提瓶
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34.須恵器提瓶実測図
亀山市歴史博物館(生駒家資料)
太岡寺古墳群は、5基の円墳からなると考えられていましたが、発掘調査中に新しく6号墳が見つかり、即時調査されました。実測図(原図)は、当時1年生の辻本さんが作成したものです。
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須恵器提瓶実測図
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35〜42.太岡寺古墳群出土須恵器
古墳時代後期(5世紀末〜7世紀初め) 三重県埋蔵文化財センター
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35.須恵器高坏(太岡寺古墳群3号墳)
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36.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)
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37.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)
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38.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)
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39.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)
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40.須恵器坏蓋(太岡寺古墳群6号墳)
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41.須恵器坏蓋(太岡寺古墳群6号墳)
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42.須恵器高坏(太岡寺古墳群6号墳)
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43.須恵器実測図(太岡寺古墳群3号墳・6号墳)
亀山市歴史博物館資料(生駒家資料)
発掘調査後、クラブ員たちによる整理作業の過程で作成された遺物の実測図(原図)と実物の遺物です。実測図は、各々の遺物の特徴を観察して作成しますので、クラブ員たちの観察のようすがうかがわれます。特に、37と38の須恵器坏身底部には実測図作成時の痕跡が残されています。
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35.須恵器高坏(太岡寺古墳群3号墳)の実測図
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36.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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37.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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38.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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39.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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40.須恵器坏蓋(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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41.須恵器坏蓋(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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42.須恵器高坏(太岡寺古墳群6号墳)の実測図
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昭和39年度校舎配置図
亀山高校新聞第66号〈出品番号54〉「発掘はおもしろかった!」によると、太岡寺古墳群出土遺物の整理は、書道教室で行われました。
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昭和39年度校舎配置図
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44.太岡寺古墳群出土遺物展示会出品目録
昭和39年(1964) 亀山市歴史博物館(生駒家資料)
昭和39年(1964)11月26日・27日に行われた第16回学園祭にあわせ、クラブは整理作業を進めていた太岡寺古墳群の出土遺物展示会を催しました。
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太岡寺古墳群出土遺物展示会 出品目録
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45.太岡寺古墳群発掘調査風景
亀山市(まちなみ文化財G所管)
昭和39年(1964)に開催された学園祭展示(〈出品番号44〉出品目録)で使用した写真と考えられます。太岡寺古墳群の遠景と出土状況の写真です。右上の1号墳上にはテントが張られています。これは、出土品の盗難防止のため、関係者が寝泊まりしていたものです(『中部日本新聞』昭和39年8月20日)。
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太岡寺古墳群発掘調査風景
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46〜53.太岡寺古墳群出土須恵器
古墳時代後期(5世紀末〜7世紀初め) 三重県埋蔵文化財センター
太岡寺古墳群の調査では、6基の古墳から大量の須恵器が出土しました。平瓶〈出品番号50・51〉は、太岡寺古墳群発掘調査風景〈出品番号45〉に出土状況が記録されています。有蓋脚付長頸壺〈出品番号46〉は学園祭でも展示されたものです(亀山高校新聞第66号〈出品番号54〉)。
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46.須恵器有蓋脚付長頸壺(太岡寺古墳群1号墳第1主体)
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47.須恵器横瓶(太岡寺古墳群1号墳第5主体)
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48.須恵器提瓶(太岡寺古墳群1号墳第6主体)
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49.須恵器𤭯(太岡寺古墳群2号墳)
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50.須恵器平瓶(太岡寺古墳群4号墳)
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51.須恵器平瓶(太岡寺古墳群4号墳)
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52.須恵器高坏(太岡寺古墳群6号墳)
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53.須恵器坏身(太岡寺古墳群6号墳)
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54.亀山高校新聞第66号
亀山高校新聞部刊 昭和39年(1964) 三重県立亀山高等学校
郷土史クラブと同じく昭和24年(1949)に発足した新聞部は、学校新聞を発行していました。木下古墳・太岡寺古墳群の発掘調査は、昭和39年発行の第65号・第66号で「古墳発掘」として上・下2回の特集が組まれて紹介されました。
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55〜59.太岡寺古墳群出土玉類
古墳時代後期(5世紀末〜7世紀初め) 三重県埋蔵文化財センター
亀山高校新聞第66号〈出品番号54〉「発掘はおもしろかった!」では、「美しい首飾り一組、まが玉、ガラス玉が出土し、発掘にあたっていた女子学生から、盛んに「美しい美しい」との声が連発されていた。」と紹介されています。発掘参加者の発見当初の感動が伝わってきます。
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55.丸玉〈土製〉(太岡寺古墳群1号墳第1主体)
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56.切子玉〈水晶製〉(太岡寺古墳群1号墳第1主体)
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57.小玉〈ガラス製〉(太岡寺古墳群1号墳第3主体)
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58.管玉勾玉〈碧玉製〉(太岡寺古墳群1号墳第3主体)
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59.小玉〈ガラス製〉(太岡寺古墳群1号墳第4主体)
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60.太岡寺古墳群発掘調査風景
亀山市(まちなみ文化財G所管)
60-3にあるように、太岡寺古墳群太岡寺古墳群1号墳では、墳丘上に電話用電柱が立っていました。そのため、電電公社との話し合いによって仮移転が整うまで、調査が延期されていました。太岡寺古墳群の調査は、担当ではなかったとされる郷土史クラブですが、クラブ員たちは、事前調査(60-1)や本調査(60-3)で活躍したようすが撮影されています。
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60-1.太岡寺古墳群事前調査風景
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60-2.太岡寺古墳群遠景
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60-3.太岡寺古墳群調査風景
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60-4.太岡寺古墳群3号墳調査風景
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60-5.太岡寺古墳群4号墳石室内実測風景
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