昭和39年(1964)、名阪国道の建設にともない、予定敷地内にある遺跡の発掘調査が実施されました。そのひとつが木下古墳(木下町)です。木下古墳の発掘調査は、郷土史クラブ顧問の生駒勝先生が担当者となり、三重大学による指導と協力を得て、7月26日から8月24日まで行われました。発掘調査には、夏休み中のクラブ員も熱心に参加し、大きな力を発揮しました。5コーナーで紹介します太岡寺古墳群とあわせて約100名もの亀山高校生が発掘調査に従事しました。そのほか、神戸高校、亀山中学校、関中学校の生徒も参加しました。
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31-1.木下古墳全景 宮村彰氏
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現在の木下古墳
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18.円筒埴輪
木下古墳 古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重大学
発掘調査の結果、木下古墳は、全長30.5mの帆立貝式前方後円墳であることがわかりました。そのくびれ部に近い後円部の下段肩部から、円筒埴輪列が確認されています(木下古墳略図〈出品番号19〉、写真〈出品番号32-1〉)。40〜50cm間隔で樹立されており、約40個出土しました。
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19.木下古墳略図
昭和39年(1964) 亀山市歴史博物館(樋田家資料)
昭和39年(1964)8月11日と12日に作成された木下古墳の略図です。古墳の大きさと埴輪の出土状況(円筒埴輪列が後円部下段肩部、馬形埴輪やその他の形象埴輪片が後円墳頂部から出土)が、記録されています。
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木下古墳略図
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20.家形埴輪
木下古墳 古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重大学
平床式変形四柱造り(平地式で寄棟屋根の形)となっており、急勾配の高い屋根、棟に4本の堅魚木をのせています。
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家形埴輪(木下古墳)
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21.人物埴輪
木下古墳 古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重大学
正面を向いた男子像の埴輪です。頭部には鉢巻をまき、顔面に線刻で刺青を表現しています。服装は中国風の立襟で左前にあわせ、腰には帯をしめ、両手に籠手をはめて手巻緒をしめています。
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人物埴輪(木下古墳)
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22.人物埴輪部分
木下古墳 古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重県埋蔵文化財センター
人物埴輪の脚部か腕部であろうと考えられます。馬形埴輪も同時に出土していることから、21・22の人物埴輪は馬子を表しているのではないかと推察されます。
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人物埴輪部分(木下古墳)
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23.馬形埴輪(脚部)
木下古墳 古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重大学
墳頂部から出土した馬の脚部の埴輪です。発見当時の新聞記事によると、当時、馬形埴輪は県下で初めて出土したと報道されました(『伊勢新聞』昭和39年8月16日・20日)。
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馬形埴輪(脚部)(木下古墳)
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24〜27.木下古墳出土須恵器
古墳時代後期(5世紀末〜6世紀前半) 三重大学
須恵器坏身は、第3主体(主体部:埋葬空間)から出土しました。須恵器の破片が出土した、というクラブ員の記憶とも合致するものです。
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24.須恵器短頸壺
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25.須恵器短頸壺
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26.須恵器坏身
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27.須恵器坏身
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31-2.木下古墳遺物出土状況 宮村彰氏
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32-2.木下古墳主体部遺物出土状況 亀山市(まちなみ文化財G所管)
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28.『鈴鹿』第25号
亀山高等学校郷土研究会刊 昭和39年(1964) 亀山市歴史博物館
「亀山市太岡寺・木下古墳発掘参加感想文特集」として刊行されました。15人が感想文を寄稿しています。感想文は、エッセイ調であったり、哲学的に書いたり、事実を淡々とまとめたり、とそれぞれの学生の個性が光ります。
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『鈴鹿』第25号
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32.木下古墳発掘調査
亀山市(まちなみ文化財G所管)
発掘調査には男女のクラブ員が参加しています。服装は、制帽・制服や麦わら帽子にトレパンの動きやすい服装をしています。中には、地元の方や大学生などの姿もあり、共に調査に励んでいました。
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