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凡例 1.亀山高等学校郷土研究会のはじまり 2.郷土研究会の研究テーマ 3.地方史研究誌『鈴鹿』 4.亀山高等学校郷土研究会の活躍―木下古墳― 5.亀山高等学校郷土研究会の活躍―太岡寺古墳群― 6.学生たちの発掘調査―市域のさまざまな遺跡― 7.郷土研究会の発掘調査と文化財保護法 協力者・参考文献・出品一覧

3.地方史研究誌『鈴鹿』

 郷土史クラブは、昭和24年(1949)に誕生し、翌昭和25年に研究成果を発表する『鈴鹿』を刊行します。その後、昭和58年(1983)の第47号まで、歴史学、民俗学、地理学、考古学、さらに各分野を総合した総合調査の成果を報告し続けます。その成果は、現在の研究水準からみても、地域に密着した資料収集を行った先行研究として評価できるものです。


「すずか」という名前
 三重県亀山高等学校のクラブとして創立した「郷土研究会」ですが、その研究雑誌は、「鈴鹿」と名付けられました。「かめやま」ではなく、「すずか」と名付けたのは、クラブ員でした。
 筑紫つくし申真のぶざね先生が、「雑誌の名が示しているように、学校所在地である伊勢亀山とその周辺、即ちむかしの伊勢国鈴鹿郡を、この雑誌は主たるフィールドとして記事を掲載してきた。それは、会の活動領域が、だいたいその地域にあたるからであった。」(「雑誌「鈴鹿」のおもいで」(『鈴鹿』第20号))と記されているように、クラブの調査・研究範囲から「すずか」と命名したと考えられます。
 雑誌名の表記は、創刊号では「すゞか」とし、表紙に鈴のイラストも描いています。しかし、第2号からは、「鈴鹿」と漢字表記に変更されました。


『鈴鹿』のスタイル
 『鈴鹿』は、創刊号から第22号がガリ版印刷、第23号以後はタイプ印刷となります。判型はんがたは刊行以来B5判が継続されます。創刊号は袋綴装ふくろとじそう大和綴やまととじ)で、まさに手作りされた印象の強いものでしたが、第2号以後は、製本された雑誌として刊行されます。
 また、『鈴鹿』の表紙は、白をベースとし、各号で異なる色の長方形の枠内に雑誌名の「鈴鹿」を白抜きする形を基本としていました。色は、橙・紺・茶・桃・黄・緑が確認できます。しかし、第28号と第43号のみ、表紙が色表紙となっています。第43号は、緑色をベースに茶色の長方形枠としています。その理由は、鈴鹿山脈東山麓の村落調査をテーマとしたことから、山頂を茶色、山麓を緑色とする地図表記を参考にしたとしており、特別な意識を持って作成していたことがうかがえます。


内容の変化
 クラブの活動は、学生たちの興味関心、社会背景や顧問の先生方の指導により、3期に分類できます。
第1期:民俗調査期(昭和25年〜31年)
第2期:発掘調査期(昭和32年〜40年)
今回の展示の中心として取り上げた期間です。
第3期:総合調査期(昭和41年〜)
歴史学、地理学、民俗学の各分野からみた調査と、社会学的な要素を取り入れた総合調査です。
 いずれの時期も、学区という地域に密着した課題意識を持ち、調査・研究に邁進しています。


印刷費高騰と補助制度
 『鈴鹿』の刊行は、基本年2回ペースで続けられていました。しかし、第38号以後、年1回発行へと減少します。昭和48年(1973)のオイルショックは、雑誌刊行にも影響を及ぼしました。昭和49年刊行の第40号は紙不足のためページ数の削減、翌50年は1年間休刊しましたが、51年刊行の第41号も出版費高騰により、調査報告の収録を断念しています。
 オイルショックの影響前から、資金不足は続いており、第34号(昭和44年)刊行時には、亀山ライオンズクラブより出版補助金の援助を受け、その後も援助が継続します。昭和50年代に入ると、学校の後援会やクラブ卒業生による「クラブ後援会」からの助成を受け、出版を継続しています。多くの援助に支えられ、出版活動を続けたわけですが、それは支援に値する内容を発表しつづけたクラブ員たちの努力がもたらした成果といえるのではないでしょうか。


『鈴鹿』・クラブの評価
1.『毎日新聞』昭和32年10月6日
 『毎日新聞』の昭和32年(1957)10月6日三重版に、特集「ぼくらの研究」が組まれました。特集の第17回に郷土史クラブが登場しました。『鈴鹿』が研究者から評価されたこと、クラブ員が発掘調査や地理学調査を行っていることを紹介し、不明な部分のあった亀山地方の郷土史が、クラブ員によって体系化されていくであろうとの展望を示しています。

2.『地方史研究』第80号
 全国の地方史研究者と地方史研究団体の連絡機関である地方史研究協議会が発行する『地方史研究』第80号(昭和41年(1966))に「地方史誌編集展望」として、『鈴鹿』は意欲的な編集をしている、と評価されました(『鈴鹿』第28号に添付)。

3.三重県教育委員会「教育時報」第112号
 三重県教育委員会の公報である「教育時報」第112号(昭和52年(1977),『鈴鹿』第43号に添付)では、「自慢の部活動」を特集するコーナーがあります。その特集の第1回を飾ったのが、亀山高校郷土史クラブでした。県教育委員会の中でも、高く評価されていたことがうかがえます。記事の中で、顧問の前田和男先生、原田好雄先生は、長期にわたる調査研究が全国的にも例がないものであることを述べられています。


16.地方史研究誌『鈴鹿』
   亀山高等学校郷土研究会刊 亀山市歴史博物館
 地方史研究誌『鈴鹿』は、基本的に郷土史クラブ員が調査・研究した成果をまとめた研究雑誌です。クラブ創立の翌年、昭和25年(1950)6月17日に発行された創刊号に始まります。刊行されない年もあるものの、年に1回から2回のペースで刊行されつづけますが、次第に縮小され、昭和58年(1983)2月に発行された第47号で最終号を迎えます。

地方史研究誌『鈴鹿』


17.複製・地方史研究誌『鈴鹿』
   亀山市歴史博物館
 郷土史クラブが刊行した『鈴鹿』全47冊の複製です。『鈴鹿』には、クラブの活動の成果が凝縮されています。研究内容は地域に密着しており、レベルの高さはクラブ員の熱心さ、顧問の先生方の適確な指導を反映しているといえます。




   

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