7.何げないくらしの中の1番
わたしたちが、ふだんから遊んだりする場所や、よく使っているものとか、何とも思っていなかったりするものの中にも、1番はたくさんみつかるんだ。 このコーナーでは、このような、何げないくらしの中にあった1番を紹介するよ。みんなの身のまわりにも、意外な1番があるかもしれないから、お家に帰ったら探してみるのもいいかもね。 |
(1)電話に関する1番 -電話中継所- |
現在のわたしたちにとって、電話は必需品のひとつ。電話には大きく2種類あって、ひとつは携帯電話のように電波をつかって通話するタイプ、もうひとつは、お家の固定電話のように電話線をつかって通話するタイプだね。 そもそもさいしょは、装荷ケーブルという専用の電話線をつかって東京と神戸の間に日本初の長距離電話を開通させたんだ。1928年(昭和3)のことだよ。 仕組みは、話した声が、電気の信号に変えられて、この信号が、ケーブルを伝わって相手に届くんだ。だけど、信号はケーブルを伝わっているうちに、だんだんと弱ってしまうんだって。その対策に設置されたのが「電話中継所」と、ローディング櫓なんだ。これは、信号が弱らないように、電話中継所で電気信号を整えて、さらにローディング櫓に設置されたローディングコイルという装置を通して音声が悪くならないようにしたんだって。 1925年(大正14)、江ヶ室に電話中継所がつくられたんだけど、なんと、これが日本で1番初めにつくられた中継所だったんだって。
電話中継所は、1925年(大正14)8月16日に江ヶ室に建てられました。東京と神戸の間を80㎞間隔で9か所設置されたうちのひとつです。長距離電話線は、1923年(大正12)の関東大震災の影響で、名古屋と大阪の間が先につくられたので、江ヶ室の電話中継所は1番さいしょにつくられることになりました。
ローディング櫓には、ローディングコイルという音声が悪くなるのを防ぐ装置が設置され、電話中継所の間に1830m間隔で建てられました。市内では、他にも布気町野尻に現在ものこっています。 7-2:ローディング櫓(ろーでぃんぐやぐら)(田村町) 亀山市歴史博物館撮影
この電話機は、右側についている発電用のハンドルを回してかける電話機です。このタイプの電話機は、1896(明治29)~1965年(昭和40)頃まで使われていました。 7-3:デルビル磁石式壁掛電話機(でるびるじしゃくしきかべかけでんわき) 亀山市まちなみ文化財G所蔵 |
(2)市内で1番さいしょの喫茶店 -喫茶オオタ- |
現在、市内にはたくさんの喫茶店があるね。むかしからある個人の人のお店だったり、有名チェーン店だったり。 亀山市に1番さいしょに喫茶店ができたのは、1962年(昭和37)頃なんだって。亀山駅にすぐ近いところにオープンした「喫茶オオタ」というお店だよ。当時新聞にも喫茶1号店として載ったらしい。お店はもうないけれど、お店で使っていたコーヒーカップと、たばこを吸う人のために置かれていたマッチがのこされていたの。 マッチはよく見ると、「純喫茶」と書かれている。これは、お酒を出さない純粋な喫茶店のことなんだって。当時、夜になるとお酒を出す喫茶店もあって、このような喫茶店は、「カフェ」と呼ばれて区別されていたんだって。
喫茶オオタで使われていたコーヒーカップと、煙草を吸う人のために店内に置かれていたマッチ。 マッチは、禁煙が主流の現在ではあまりみかけなくなりましたが、むかしは、喫茶店に行くと、お店の名前や宣伝を書いたマッチが必ず置かれていて、店内で使ったり、もらって帰ることができました。
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