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6.市内の企業きぎょうにまつわる1番

 亀山市内にも、さまざまなものをつくっている工場や、ものを販売はんばいしている会社がいっぱいあって、たくさんの人がはたらいているよ。このように、いろんなものをつくったり、売ったりする会社やグループ(団体だんたい)を企業きぎょうというんだ。
 このコーナーで紹介しょうかいするのは、そんな亀山市内の企業きぎょうからみつかった1番だよ。


(1)えき1番いちばん -関西鉄道かんせいてつどう

 むかしから日本の東と西の境目さかいめといわれた亀山。そんな亀山に鉄道てつどうができたのは、128年前の1890年(明治めいじ23)12月25日のことなんだ。関西鉄道株式会社かんせいてつどうかぶしきがいしゃが、滋賀県しがけん草津くさつ三重県みえけん四日市よっかいちの間に鉄道てつどういたんだよ。これ以降いこう、亀山は「鉄道てつどうのまち」とよばれるようになったんだって。
 じゃあ、市内にある5つ全部せんぶえきが同じ日にできたかっていうと、そうでもなくって、最初さいしょ鉄道てつどう草津くさつ四日市よっかいちあいだ)がかれたときにつくられたえきは、亀山えき関駅せきえきだけなんだ。つまり、1番最初さいしょにできたえきは亀山えき関駅せきえきで、ともに1番。「じゃあ、ほかのえきはいつ?」って思った人は、「市内のえきができた日ランキング」ひょうをみてね。ちなみに、むかしはえきのことを「停車場ていしゃば」といっていたよ。
関西鉄道かんせいてつどうは、その後、国が経営けいえいする「国鉄こくてつ」となり、またその後、民間みんかん経営けいえいがうつされて、「JR」という会社になって今にいたってる。
 さあ、きみのおうちに1番近いえきは、なん番目にできたえきかな?


市内にえきができた日ランキング(古いじゅん)
順位じゅんい 駅名えきめい えきができた日
亀山えき 1890年(明治めいじ23)12月25日
関駅せきえき 1890年(明治めいじ23)12月25日
3番 下庄駅しものしょうえき 1891年(明治めいじ24)8月21日
4番 加太駅かぶとえき 1896年(明治めいじ29)9月21日
5番 井田川駅いだがわえき 1929年(昭和しょうわ4)5月20日


[6-1]
[6-1]
津駅つえきができる1891年(明治めいじ24)11月以降いこうにつくられた「関西鉄道案内かんせいてつどうあんない」。題字だいじの上には、関西鉄道かんせいてつどうの「かん」の字から考えられた関西かんせい鉄道株式会社てつどうかぶしきがいしゃのマークがえがかれています。
6-1:関西鉄道案内(かんせいてつどうあんない)
亀山市歴史博物館所蔵加藤家文書

[6-2]
6-2:亀山停車場
(かめやまていしゃば)
亀山市歴史博物館所蔵
[6-2]
 今から、105年前の1913年(大正たいしょう2)ごろの亀山停車場ていしゃば(亀山えき)のようすです。関西鉄道かんせいてつどうは、1907年(明治めいじ40)10月1日に国の所有しょゆうとなり、日本国有鉄道こくゆうてつどう通称つうしょう国鉄こくてつ」)と名前がかわります。そのご、亀山停車場ていしゃば駅舎えきしゃは、1913年(大正たいしょう2)11月に洋風ようふうっぽい建物たてものになりました。

[6-3]
6-3:亀山駅構内(かめやまえきこうない)  国鉄時代
亀山市歴史博物館所蔵
[6-3]
 いつ撮影さつえいされたのかは不明ふめいですが、国有鉄道こくゆうてつどう時代じだいの亀山えき構内こうない撮影さつえいした写真しゃしんです。発車時刻表はっしゃじこくひょう看板かんばんおくには、時計や改札口かいさつぐちがみえます。
 もし、亀山えきから列車れっしゃることがあったら、現在げんざい風景ふうけいとぜひくらべてみましょう。

[6-4]
6-4:蒸気機関車
(じょうききかんしゃ)
亀山市歴史博物館所蔵
[6-4]
現在げんざい列車れっしゃは、電車は電気で、ディーゼル車は軽油けいゆ使つかってうごかしますが、むかしは、機関車きかんしゃトーマスのように、石炭せきたんやして蒸気じょうき発生はっせいさせてうごかしていました。このような列車れっしゃを「蒸気機関車じょうききかんしゃ」といい、省略しょうりゃくして「汽車きしゃ」ともいいます。むかし実際じっさいうごいていた蒸気機関車じょうききかんしゃは、亀山西小学校のとなりのますみ児童園じどうえんや、せきロッジ近くの機関車広場きかんしゃひろば観音山公園かんのんやまこうえん)に展示てんじされていますので、近くに行くことがあったら見てみましょう。

[6-5]
6-5:蒸気機関車プレート(じょうききかんしゃぷれーと)
「C58 359」
亀山市歴史博物館所蔵
[6-5]
 このプレートは、ますみ児童園じどうえん展示てんじされている蒸気機関車じょうききかんしゃけられていたプレートです。「C」が動輪どうりんの数、「58」が機関車きかんしゃ形式けいしき、「359」が製造番号せいぞうばんごうあらわしています。
 なお、蒸気機関車じょうききかんしゃでは「C」ではじまる番号ばんごうと「D」ではじまる番号ばんごうがあり、それぞれは、動輪どうりんの数のちがいをあらわしています。「C」は動輪どうりんが3つ、「D」は4つあり、ひっぱるパワーがちがうので、おもに「C」は客車用きゃくしゃよう、「D」は貨物用かもつようとして使用しようされました。


(2)製糸せいしのまち1番いちばん -田中製絲場たなかせいしじょう

 むかし、かいこという虫をそだてて、そのまゆをほどいて糸にする「製糸せいし」という産業さんぎょうが日本のあちこちでみられた時代じだいがあったの。このかいこがつくりだした天然てんねんの糸を「生糸きいと」というんだって。生糸きいときぬ(シルク)になる前の段階だんかいの糸なの。この時代じだい、亀山も、たくさんの製糸工場せいしこうじょう製糸会社せいしかいしゃがつくられて、農家のうかの人もたくさんかいこそだてて、まゆ製糸工場せいしこうじょう会社かいしゃっていっていたの。このようにたくさんの人が製糸業せいしぎょうかかわっていたことから、亀山市域車しいきは、「製糸せいしのまち」ともよばれていたんだって。
 そこで、この「製糸せいしのまち」について、1番をさがしてみたの。そしたら、亀山で1番最初さいしょ製糸業せいしぎょうはじめたのは田中音吉たなかおときちっていう人で、「田中製絲場たなかせいしじょう」という工場を西町にしまちにつくったことがわかったの。そして、この工場は、のちに、現在げんざい亀山製絲株式会社かめやませいしかぶしきがいしゃになったんだって。


市内にあった製糸場せいしじょうベスト10(できたじゅん)
順位じゅんい 製糸場せいしじょう できた日 社長しゃちょう 住所じゅうしょ現在げんざい
田中製絲場たなかせいしじょう 1887年(明治めいじ20)6月 田中音吉たなかおときち 西町にしまち
2番 佐久間製糸場さくませいしじょう 1890年(明治めいじ23)6月 (ふめい) 川崎町かわさきちょう
3番 菊田製糸場きくたせいしじょう 1891年(明治めいじ24)8月 菊田忠次 北山町きたやまちょう
4番 葛西製糸場かさいせいしじょう 1892年(明治めいじ25)6月 (ふめい) 川崎町かわさきちょう
福島製糸場ふくしませいしじょう 1892年(明治めいじ25)6月 福島卯左衛門 関町沓掛せきちょうくつかけ
6番 市川製糸場いちかわせいしじょう 1893年(明治めいじ26)6月 市川新吉 西町にしまち
7番 丸ヲ製糸場まるおせいしじょう 1893年(明治めいじ26)7月 落合玉之助 関町萩原せきちょうはぎわら
8番 村田製糸場むらたせいしじょう 1894年(明治めいじ27)4月 村田新三郎 関町新所せきちょうしんじょ
9番 中村製糸場なかむらせいしじょう 1895年(明治めいじ28)1月 中村安五郎 関町新所せきちょうしんじょ
10番 寺田製糸場てらだせいしじょう 1895年(明治めいじ28)6月 寺田治兵 東町ひがしまち


[6-6]
[6-6①]
[6-6②]
6-6:田中製絲場の商品ラベル
(たなかせいしじょうのしょうひんらべる)
亀山市歴史博物館所蔵

田中製絲場たなかせいしじょうで、商品しょうひん出荷しゅっかする時に商品しょうひんにつけた2種類しゅるいのラベルです。「RAW SILK」とは、英語えいごで「生糸きいと」のこと。ラベルのふちには、かいこまゆ成虫せいちゅう姿すがたであるチョウ()がデザインされています。

[6-7]
[6-7]
 この銅像どうぞうは、田中製絲場たなかせいしじょうをつくった田中音吉たなかおときち銅像どうぞうです。田中音吉たなかおときちはこんな顔をしていたようです。この銅像どうぞうは工場のあった西町にしまちてられましたが、戦争せんそうで日本中から金属きんぞくあつめられた時になくなりました。

6-7:田中音吉翁銅像(たなかおときちおうどうぞう)
個人寄託


(3)キャンドルサービスの1番はじめ -カメヤマ株式会社かぶしきがいしゃ

結婚式後けっこんしきご披露宴ひろうえん演出えんしゅつのひとつに、結婚式けっこんしきをあげた新郎しんろう新婦しんぷ主役しゅやく)が、出席者しゅっせきしゃのテーブルにかれたロウソクに火をともしてまわる、キャンドルサービスがあるよ。キャンドルとはロウソクのことだよ。
 このキャンドルサービスは、なんと、市内にあるカメヤマ株式会社かぶしきがいしゃ(当時は、亀山蝋燭かめやまろうそく株式会社かぶしきがいしゃ)ではたらいていた人が、ヨーロッパでの結婚式けっこんしきのようすをヒントに考えて、今から59年前の1959年(昭和しょうわ34)に、自分の結婚式けっこんしき披露宴ひろうえんでためしたのがはじまりなんだって。だからキャンドルサービスをした1番最初さいしょの人は、現在げんざいのカメヤマ株式会社かぶしきがいしゃはたらいていた人なんだ。
 そして、カメヤマ株式会社かぶしきがいしゃでは、1970年(昭和しょうわ45)に結婚式用けっこんしきようのキャンドル(ロウソク)の販売はんばいをはじめ、このころから結婚式けっこんしきでのキャンドルサービスがブームとなったんだって。みんなのおうちの人もキャンドルサービスをしたかもね。いちど聞いてみて。


[6-8]
6-8:ウェディング
ハッピーキャンドル
亀山市歴史博物館所蔵
安藤家資料

[6-8]
 今から33年前の1985年(昭和しょうわ60)に、市内の人がキャンドルサービスをしたさいに使ったロウソクで、披露宴ひろうえんの会場では、新郎しんろう新婦しんぷの前にかれました。このキャンドルには、そのごも毎年結婚記念日けっこんきねんびいわえるように、「25」までの数字が書かれています。結婚けっこん25年目は、「銀婚式ぎんこんしき」というおいわいをする年でもあります。

[6-9]
6-9:ローゼンビーズ
カメヤマ株式会社提供
[6-9]
 ウェディングハッピーキャンドルの現在げんざいの形であるローゼンビーズ。キャンドルサービスは、いまもおこなわれていますが、最近さいきんでは、新郎しんろう新婦しんぷからうけとったロウソクの灯火ともしびをそれぞれのテーブル内でリレーする、キャンドルリレーとよばれる演出えんしゅつもおこなわれています。

[6-10]
キャンドルサービス(無音映像)
※映像の転載・複製など無断でのご使用はご遠慮ください。

 この映像えいぞううつっているのは、1959年(昭和しょうわ34)におこなわれたキャンドルサービスのようすです。古い映像えいぞうなのでわかりにくいですが、和装わそう新郎しんろう新婦しんぷの前と招待客しょうたいきゃくつくえの上にロウソクがかれている様子ようすうつっています。