1.土の中からみつかった1番
むか~しむかしの古いことは、地面の下にうまっているものからわかることがよくあるんだ。だから、古いことをしらべるために、地面をほることもある。このように地面をほってしらべることを、「発掘調査」というんだよ。そして、むかしのものがうまっている場所は、「遺跡」とよばれるんだ。
そこで、このコーナーでは、発掘調査をした結果、土の中からみつかった1番を紹介するね。さあ、どんな1番がみつかったのかな? |
(1)1番古いむらのあと -大鼻遺跡- |
1984年(昭和59)より1990年(平成2)までの7年間、太岡寺町から川合町の間に国道1号バイパスをつくるために、発掘調査がおこなわれたんだ。その調査中、今から33年前の1985年(昭和60)に太岡寺町字大鼻の一帯でむらのあとと思われていた場所を掘ったら、竪穴住居とよばれる建物のあとがみつかったよ。この場所は、「大鼻遺跡」というんだ。さらに、この建物のあとは、今まで市内でみつかった中では、1番古いもので、今から約9000年前の縄文時代の初めごろのものなんだって。
そして、この場所では、小さな四角形の模様をつけた器の破片もみつかっていて、この器は、この遺跡の名前をとって、「大鼻式土器」と名前がつけられたんだ。 |
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小さな四角形の模様をつけた器の破片。
1-1:大鼻式土器(おおはなしきどき) 三重県埋蔵文化財センター保管
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大鼻遺跡からみつかった、女性をイメージして作られた焼き物。ざんねんなことに、胸のぶぶんしかのこっていません。
1-2:土偶(どぐう)レプリカ 亀山市歴史博物館所蔵
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(2)1番古いお墓 -上椎ノ木1号墳- |
国道1号亀山バイパスをつくるために、川合町でも発掘調査がおこなわれたんだって。ここで調べたもののひとつに、「上椎ノ木1号墳」という名前がつけられた、むかしの人のお墓があるんだけど、このお墓は、今まで調べた市内のお墓の中で1番古くて、なんと1650年くらい前のお墓なんだって。このおの墓の棺の中からは、銅でできた鏡や、きれいな色のネックレス(首飾り)・ブレスレット(腕輪)・石でできた小さな壺などもみつかったの。 |
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上椎ノ木1号墳を調べた時に北がわから撮影したようす。中央に、木の幹を二つに割り、中をくり抜いたような棺があったのではないかと考えられています。
1-3:上椎ノ木1号墳(かみしいのきいちごうふん)近景(北から) 三重県埋蔵文化財センター写真提供
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上椎ノ木1号墳を調べた後に東上空から撮影したようす。左上に写ってるいるのは、柳河精機株式会社亀山工場です。
1-4:上椎ノ木1号墳(かみしいのきいちごうふん)調査後近景(東上空から) 三重県埋蔵文化財センター写真提供
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上椎ノ木1号墳に死者とともにうめられた鏡。鏡のデザインは、青龍・白虎・朱雀・玄武という中国の4匹の霊獣(神様)なので、「四神鏡」といいます。
1-5:四神鏡(ししんきょう) 三重県埋蔵文化財センター写真提供
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上椎ノ木1号墳に死者と一緒にうめられていた石製の壺。痰や唾を吐くための壺と考えられています。
1-6:石製小型壺(いしせいこがたつぼ)のレプリカ 三重県埋蔵文化財センター保管
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上椎ノ木1号墳に死者と一緒にうめられていた石でできたブレスレット(腕輪)。
1-7:石釧(いしくしろ)のレプリカ 三重県埋蔵文化財センター保管
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上椎ノ木1号墳に死者と一緒にうめられていた、化石の一種である琥珀を加工してつくられた勾玉。この勾玉は、管玉と一緒につなげて、ネックレス(首飾り)の一部分につかわれていました。
1-8:勾玉(まがたま)のレプリカ 三重県埋蔵文化財センター保管
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上椎ノ木1号墳からみつかったアクセサリー。左端の細長い筒状のものは管玉といって、紐でつないでネックレス(首飾分り)としてつかわれていました。中央上部の青色の玉は、ガラスの小玉です。
1-9:管玉(くだたま)・ガラス小玉(こだま)・勾玉(まがたま) 三重県埋蔵文化財センター写真提供
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(3)1番大きなお墓 -能褒野王塚古墳- |
田村町にある、ヤマトタケルのお墓といわれい能褒野王塚古墳。ヤマトタケルは、むかしの人が作った本の中に書かれている、国をひとつにした人だよ。
お墓は、全長90メートルもある亀市で1番大きなお墓で、三重県北部でも最大級。とってもえらい人のお墓だから、こんなに大きいんだって。
そして、お墓の形は、前が四角くて後ろが丸い、「前方後円墳」とよばれる、カギ穴のような形。ふちに「円筒埴輪」と鰭付朝顔形円筒埴輪」の2つの粘土を焼いて作った大きな焼き物(埴輪)を、たくさん並べて置いているんだ。 |
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1-10:鰭付朝顔形円筒埴輪(ひれつきあさがおがたえんとうはにわ) 能褒野神社寄託
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能褒野王塚古墳の鰭付朝顔形円筒埴輪で、高さ93.5cm、筒の太さは、1番太いところで直径33.4cmあります。この埴輪は市内で1番古いお墓の埴輪ですが、同時に埴輪の大きさでも市内で1番大きいものです。ただし、上部にあった朝顔の部分と筒の部分の両横にあった鰭の部分はなくなっています。(展示室では、鰭の部分を、アクリルにシールを貼って示しました。)
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1-11:能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)模型 亀山市歴史博物館所蔵
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この写真は、能褒野王塚古墳の模型です。むかしのカギ穴のような形をしています。前が四角い部分で、後ろが丸い部分です。前方後円墳の「方」は四角という意味をあらわしています。
このうち死者を埋める場所は後ろの丸い部分で、まわりを円筒埴輪と鰭付朝顔形円筒埴輪で囲まれています。
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