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凡例・自由研究ノート等土で作る煮る・炊く蒸す盛りつける蓄える祀る土の利用昔と今のくらしさいごに

 1500ねんほどまえからつくられるようになるおうのためのはかを「古墳こふん」といいます。古墳こふんには、粘土ねんどでできた埴輪はにわかざられます。埴輪はにわには色々いろいろかたちがあります。おおきな土器どきである埴輪はにわには、ずっとむかし人々ひとびとおういだいていたおそれやうやまいの気持きもちがあらわれているようです。
 また、古墳こふんでは死者ししゃへのまつりがおこなわれました。そこでは、普段ふだん使つかわない特別とくべつ土器どきもちいられました。

埴輪はにわ

 粘土ねんどでできており、古墳こふんまわりにてられました。古墳こふんかこむことで人々ひとびとりをふせいだとかんがえられています。埴輪はにわには、つつかたち円筒埴輪えんとうはにわ色々いろいろかたちをした形象埴輪けいしょうはにわがあります。ひと動物どうぶついえふねなどのかたちつかっています。色々いろいろかたち粘土ねんどつくりますが、共通きょうつうしているのは、あなかしあな)があけられていることです。あなをあけた理由りゆうは、①様々さまざまなものをのせるだいあながあいており、それをいだから、②埴輪はにわときとおりやすいから、といったことがかんがえられています。


43.鰭付朝顔形ひれつきあさがおがた円筒埴輪えんとうはにわ
   能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふん田村町たむらちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1600年前ねんまえ(4世紀末せいきまつ〜5世紀初せいきはじめ) 亀山市歴史博物館かめやましれきしはくぶつかん寄託きたく能褒野神社のぼのじんじゃ資料しりょう
 市内しない一番いちばんふるく、おおきい埴輪はにわです。のこっている部分ぶぶんたかさ93.5cm、つつもっとふと部分ぶぶんけい33.4cmです。かたちは、つつとそのうえつぼ部分ぶぶんのこっています。つぼうえ朝顔あさがおかたち部分ぶぶんと、つつよこにあったひれという長方形ちょうほうけい粘土板ねんどばんかざりは、いまのこっていません。
 つぎいろ注目ちゅうもくしてみましょう。まずはなかのこくろいろ目立めだちます。これは、埴輪はにわときについたコゲのいろです。もう一色いっしょくあります。赤色あかいろ外側そとがわつち茶色ちゃいろとはべつあかいろえます。全体ぜんたいについていますから、元々もともとこの埴輪はにわ赤色あかいろられていたようです。赤色あかいろ魔除まよけのいろともかんがえられていますので、はかかこ埴輪はにわったのではないでしょうか。
 最後さいごつくかたてみます。表面ひょうめんには縦方向たてほうこうにヘラでととのえたあとがあります。表面ひょうめんととのえたあと粘土紐ねんどひもいてかざっています。
 この埴輪はにわ特徴とくちょうは、いまのこっていない「ひれ」にあります。ひれいた埴輪はにわは、いま奈良県ならけん北部ほくぶにいたおう全国ぜんこくちからひろげていくなかで、地元じもとおうおしえたかたちかんがえられています。つまり、この埴輪はにわがあった能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふんほうむられたおうは、地域ちいきこうとして中央ちゅうおうおうふか関係かんけいにあったのだろうと想像そうぞうされます。
鰭付朝顔形円筒埴輪(能褒野王塚古墳)
鰭付朝顔形円筒埴輪イラスト(能褒野王塚古墳)
鰭付朝顔形ひれつきあさがおがた円筒埴輪えんとうはにわ能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふん



44.能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふん模型もけい
   亀山市歴史博物館かめやましれきしはくぶつかん所蔵しょぞう
 鰭付朝顔形ひれつきあさがおがた円筒埴輪えんとうはにわ円筒埴輪えんとうはにわかこまれた能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふんの150ぶんの1の模型もけいです。とてもちいさいですが、さきほど紹介しょうかいしました鰭付朝顔形ひれつきあさがおがた円筒埴輪えんとうはにわもあります。埴輪はにわはこのように古墳こふん全体ぜんたいまわりをかこむようにかざられていたとかんがえられています。能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふん全長ぜんちょう90mですから、たくさんの埴輪はにわ必要ひつようだったことになります。
 また、模型もけいではまる部分ぶぶん後円部こうえんぶ)は2だんとしていますが、最新さいしん調査ちょうさでは、2〜3だんであるということがかりました。
能褒野王塚古墳模型
能褒野王塚古墳のぼのおうつかこふん模型もけい



45.円筒埴輪えんとうはにわ
   柴戸しばと号墳ごうふん川合町かわいちょう井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき前半ぜんはん) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 つつかたち埴輪はにわです。うえほう注目ちゅうもくしてください。えん一部いちぶまじわったような不思議ふしぎかたち文様もんようきざまれています。埴輪はにわつくった職人しょくにんがサインをしたのではないでしょうか。つぎ表面ひょうめんてみると、なな方向ほうこうにヘラでととのえたあとのこっています。
円筒埴輪(柴戸1号墳)
円筒埴輪(柴戸1号墳)
円筒埴輪えんとうはにわ柴戸1号墳しばといちごうふん



46.楕円筒埴輪だえんとうはにわ
   山下古墳やましたこふん山下町やましたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき前半ぜんはん) 亀山高等学校かめやまこうごうがっこう所蔵しょぞう
 かたちすこわっています。つつかたちなのですが、つぶれていませんか?楕円形だえんけいをしています。埴輪はにわつくときつぶれたのでしょうか?しかし、粘土ねんどれたところがないため、元々もともと楕円形だえんけいつくられたのだろうとかんがえられます。
 つぎいろいままでといろちがいます。かまかれたようで、高温こうおんいたことでかた仕上しあがりとなっています。表面ひょうめんには横方向よこほうこううえほうなな方向ほうこうにヘラでととのえたあとのこっています。
楕円筒埴輪(山下古墳)
楕円筒埴輪だえんとうはにわ山下古墳やましたこふん



47.人物埴輪じんぶつはにわ
   木下古墳このしたこふん木下町このしたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(5世紀末せいきまつ〜6世紀せいき中頃なかごろ) 三重大学みえだいがく所蔵しょぞう
 男性だんせいかたちをした埴輪はにわです。うえから順番じゅんばんていきましょう。あたまたいらになっています。ひたい鉢巻はちまきのようなものをき、ひたいあご文様もんようずみあらわしています。ふくえり左前ひだりまえにしてて、こしおびをしています。ひじまで籠手こてをはめています。両手首りょうてくび両脇りょうわきしたにはかしあながあけられています。木下古墳このしたこふんからは馬形埴輪うまがたはにわ確認かくにんされていますので、うま馬子まごをイメージしてつくられているかもしれません。
 なお、本来ほんらいは、衣服いふくしたあし円筒部えんとうぶきますが、この埴輪はにわではのこっていません。復原ふくげんされた部分ぶぶんたかさは47cmほどです。
人物埴輪(木下古墳)
人物埴輪(木下古墳)
人物埴輪じんぶつはにわ木下古墳このしたこふん




家形埴輪いえがたはにわ平床式ひらゆかしき
   木下古墳このしたこふん木下町このしたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(5世紀末せいきまつ〜6世紀せいき中頃なかごろ) 三重大学みえだいがく所蔵しょぞう
 いえかたちをした埴輪はにわです。復原ふくげんしたたかさは82cmほど。いまみなさんのいえも、地面じめんからすこうえゆかがあるように、このいえ地面じめんからすこうえゆかがあります。
 では、屋根やねから順番じゅんばんていきましょう。屋根やねには4ほんの「鰹魚木かつおぎ」というかざりがのり、それを屋根やねむすびつけた「結縄ゆいなわ」をきざんであらわしています。2つの長方形ちょうほうけいあなは、いえおもてうら入口いりぐちあらわしているようです。表面ひょうめんは、全体ぜんたい縦方向たてほうこうにヘラでととのえたあとのこされています。
家形埴輪(木下古墳)
家形埴輪いえがたはにわ木下古墳このしたこふん


ミニチュア土器どき

 これまでに紹介しょうかいしてきた土器どきおなかたちですが、とてもちいさくつくっています。普段ふだん生活せいかつではなく、はかでのおまつりに使つかうためにつくられたとかんがえられます。ちいさいため、手作てづくりしたあとがよくのこっています。


48.ミニチュア土器どきつぼ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かんべしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 ちいさなちいさなつぼです。つくっている途中とちゅうのようですが、これで完成品かんせいひんです。そこたいらですが、外側そとがわ内側うちがわ両方りょうほうかたちととのえたゆびあとのこっています。
ミニチュア土器(壷)
ミニチュア土器(壷)
ミニチュア土器どき地蔵僧遺跡じぞうそういせき



49.ミニチュア土器どきつぼ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かんべしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 ちいさなちいさなつぼで、そこまるくなっています。ふち部分ぶぶんは、ゆびでつまんでかたちととのえたようなあとのこっています。
ミニチュア土器(壷)
ミニチュア土器(壷)
ミニチュア土器どき地蔵僧遺跡じぞうそういせき



50.ミニチュア土器どきつぼ
   柴戸遺跡しばといせき栄町さかえまち川合町かわいちょう亀山東かめやまひがし井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 ちいさなつぼで、くびすこ外側そとがわひらいています。そこたいらになっています。保存容器ほぞんようきとして使つかったのではないでしょうか。
ミニチュア土器(壷)
ミニチュア土器どき柴戸遺跡しばといせき



51.ミニチュア土器どきかめ
   柴戸遺跡しばといせき栄町さかえまち川合町かわいちょう亀山東かめやまひがし井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 ちいさなかめです。外側そとがわはハケでなでてととのえています。一方いっぽう内側うちがわてみると、ゆびかたちととのえたようでゆびうごいたあとのこっています。
 また外側そとがわ内側うちがわ両方りょうほうに、土器どききあげたときのコゲ(くろよごれ)が確認かくにんできます。
ミニチュア土器(甕)
ミニチュア土器どき柴戸遺跡しばといせき



52.ミニチュア土器どき台付甕だいつきがめ
   柴戸遺跡しばといせき栄町さかえまち川合町かわいちょう亀山東かめやまひがし井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 ちいさな台付甕だいつきがめです。表面ひょうめんはハケでなでてととのえています。外側そとがわ内側うちがわ両方りょうほうに、土器どききあげたときのコゲ(くろよごれ)が確認かくにんできます。
ミニチュア土器(台付甕)
ミニチュア土器どき柴戸遺跡しばといせき




53.手焙形てあぶりがた土器どき
   柴戸遺跡しばといせき栄町さかえまち川合町かわいちょう亀山東かめやまひがし井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1950〜1800年前ねんまえ(1世紀せいきなかば〜3世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 どのように使つかわれたのかよくわかっていません。手焙てあぶり火鉢ひばちていることから、「手焙形土器てあぶりがたどき」とんでいます。
手焙形土器(柴戸遺跡)
手焙形土器てあぶりがたどき柴戸遺跡しばといせき



54.人骨じんこつ
   釣鐘山古墳つりがねやまこふん川合町かわいちょう井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき前半ぜんはん) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 古墳こふんほうむられていたひとほねではないでしょうか。うでほね上腕骨じょうわんこつ)と骨盤こつばんほね右恥骨みぎちこつ)です。
人骨(釣鐘山古墳)
人骨じんこつ釣鐘山古墳つりがねやまこふん




   

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