亀山市歴史博物館
亀山の
歴史の中の女性達


プロローグ
江戸時代の女性
1、女子の教育
2、女性の就職
〜工女として製糸工場へ〜
3、女性の社会活動
〜婦人会〜

3、女性の社会活動〜婦人会〜

 明治34年(1901)、奥村五百子によって軍事援護事業と一般社会事業を目的とした、愛国婦人会が設立されました。愛国婦人会は、設立当初は皇族・華族を中心とした上流婦人が会員となっていました。
 一方、昭和7年(1932)には、新たに「国防は台所から」というスローガンを掲げた、大日本国防婦人会が設立されました。愛国婦人会同様に軍事援護事業を行いましたが、大日本国防婦人会は、割烹着に白たすきを会服とし、会員の多くは一般家庭の女性達でした。
 その後、これらの婦人活動団体は、昭和17年(1942)2月に、大日本婦人会として1つに統合されました。
 結果的に、明治より婦人達が婦人団体の一員としておこなった様々な活動の経験は、それまで家庭婦人であった女性が、一個人として社会に目を向け、社会進出していく過程で一役買ったといえます。そこで、このコーナーでは、この地域の婦人会がどのような活動をしていたのか、実態を探ります。


@ 戦前・戦中のこの地域の婦人会

 この地域では、愛国婦人会の会員になった人、大日本国防婦人会の会員になった人、その両方の会員になった人がいました。聞き取り調査によれば、戦時中は結婚すると婦人会に入りましたが、結婚前の女性は女子青年団に入ったそうです。


[図3] 女子青年団団員数(昭和元年〜昭和15年)


【愛国婦人会】
 愛国婦人会は、活動力を育成するため昭和7年(1932)に組織改革が行われ、本部(東京)の下に東京を除く府県に支部を置き、支部の下に、全国市区町村単位で分会を置き、分会の下に字単位で分区、分区の下に班を置き、班の下に組が置かれました。
 鈴鹿郡では、まず鈴鹿郡聯合分会があり、その下に亀山町分会など各町村単位の分会が置かれていました。伝存史料によれば、昭和11年(1936)4月〜昭和17年(1942)は、現在の本町の小亀志江が鈴鹿郡聯合分会長を務めていました。また小亀志江は、昭和15年(1940)5月までは亀山町分会長も兼任していたことがわかります。亀山町分会の会員名簿(作成日記載無し)には813名の会員が記されており、これによれば、最も会員数が多かったのは現在の本町を含む東町分区で311人でした。


[図4] 愛国婦人会亀山町分会機構図


[図5] 愛国婦人会亀山町分会の地域別会員数(時期不詳)


[43]
[43]:昭和十二年九月三十日愛国婦人会員実行要目
(小亀家資料49-10)

[44]
[44]:愛国婦人会三重県支部事業要項(封筒)
(小亀家資料料51-1-1)

[45]
[45]:愛国婦人会三重県支部昭和十四年度事業報告
(小亀家資料71-31)

[46]
[46]:愛国婦人会通常会員章(館蔵八木家資料)

[47]
[47]:愛国婦人会参等有功章(個人寄託資料)

[48]
[48]:愛国婦人会たすき(個人所蔵資料)

[49]
[49]:機関誌『愛国婦人』(小亀家資料61-50〜-53)

[50]
[50]:昭和13年5月31日発行「愛国婦人」普及版
(小亀家資料71-7)

[51]
[51]:愛国婦人会々歌(小亀家資料66-1-31)

ページのtopへ戻る

【大日本国防婦人会】
 この地域の大日本国防婦人会の組織は、伝存資料が少ないためわかっていませんが、総本部→師管本部(師団所在地)→地方本部(聯隊所在地)→支部(郡市)→分会(町村)→班→組→会員となっていたようです。(『愛国・国防婦人運動資料集』解題/参考資料』)。


[52]
[52]:大日本国防婦人会活動着(再現)   
たすきは実物(館蔵佐々木家資料)

[53]
[53]:機関紙「三重国防婦人」(小亀家資料49-11)

【大日本婦人会】
 昭和17年(1942)8月7日に、大日本婦人会鈴鹿郡支部の結成式が挙行されました。大日本婦人会が結成されてから、6ヶ月後のことです。支部長には鈴鹿郡聯合分会長だった小亀志江が任命されています。なお、鈴鹿郡支部は、三重県支部の下に置かれ、鈴鹿郡支部の下には、町村単位の支部がありました。


[54]
[54]:大日本婦人会鈴鹿郡支部結成式挙行につき案内状
(小亀家資料49-23)

[55]
[55]:大日本婦人会鈴鹿郡支部役職員(小亀家資料51-1-2)

[56]
[56]:大日本婦人会々報(小亀家資料63-3-1)

ページのtopへ戻る

A−1 愛国婦人会と大日本国防婦人会の活動の痕跡

 市域での愛国婦人会と大日本国防婦人会の活動をみると、どちらの婦人会も、出征軍人の駅などでの見送りや退役軍人の出迎え、遺骨の出迎え、戦地への慰問袋の製作や出征軍人家族・遺族への慰問、奉仕活動など活動内容は大差なかったようです。このことは、亀山町や農会が協力を依頼した書類の多くが、宛先に愛国婦人会と国防婦人会両方が併記されていることからもうかがえます。
 愛国婦人会亀山町分会で製作した慰問袋について、のこされていたメモ書きによると、その中身は、昆布飴・スルメ・唐辛子・氷砂糖・煮干し・鰹節・軍手・靴下・ふんどし・空き缶の他、慰問文(画)・少冊子などを入れたようです。
 国防婦人会の活動について、国防婦人会三重県支部の機関紙である「三重国防婦人」の「分会たより」欄に記された、昭和10年(1935)10月から昭和16年(1941)11月までの活動内容を分類分けしたところ、主な活動は、出征軍人(除隊兵)歓送迎49回、慰問活動24回、武運長久祈願祭への参加12回、基金(資金)造成12回、奉仕活動11回でした。このうち、基金(資金)造成とは、活動資金を自らで稼ぐことですが、愛国婦人会では、会員からの会費が活動費になったのに対し、国防婦人会は、廃品交換や品物を販売して活動資金を稼ぎました。


[57]
[57]:銃後の心得(小亀家資料78-1-13)

[表4] 愛国婦人会亀山町分会活動内容抜粋
活動内容 主催
昭和13年 亀山町出動軍人遺家族慰安 愛婦・国婦・女青
軍需供出真綿作成奉仕 亀山町農会
ヒットラーユーゲンド派遣団歓送迎 愛婦・国婦
昭和14年 軍需梅干選別 亀山町農会
抜毛蒐集 亀山町婦人団
軍需梅干選別 亀山町農会
女子青年団代表中支慰問隊が
亀山駅通過のため見送り
亀山町役場
町葬 亀山町長
年末事業資金募集 愛婦
昭和15年 焼香 亀山町
廃品利用下駄緒製作講習会 愛婦
焼香駅前 亀山町長代理助役
蚊帳釣環献納蒐集 愛婦・国婦・女青
昭和16年 戦死者遺族への慰問 愛婦
出征勇士贈り物(慰問袋) 愛婦
焼香(追弔法会執行) 亀山町仏教団
(不詳) 第一回学生不用品交換即売会 愛婦
※愛婦:愛国婦人会亀山町分会
 国婦:大日本国防婦人会亀山町分会
 女青:亀山町女子青年団

ページのtopへ戻る

 出征の見送り、送別会に関する書類


[58]
[58]:入営奉告祭執行ノ件(小亀家資料71-35)

[59]
[59]:教育召集兵出発ニ関スル件(小亀家資料71-38)
※個人名は伏せています。

[60]
[60]:現役入営兵出発日時通知ノ件(小亀家71-33)
※個人名は伏せています。

ページのtopへ戻る

 慰問や物資供出などさまざまな奉仕活動に関する書類


[61]
[61]:軍需供出真綿作製奉仕依頼ノ件(小亀家資料71-13)

[62]
[62]:軍需梅干選別依頼ノ件(小亀家資料71-15)

[63]
[63]:抜毛蒐集ノ件(小亀家資料71-18)

[64]
[64]:蚊帳釣輪献納蒐集の件(小亀家資料71-19)

[65]
[65]:慰問袋送付について(小亀家資料71-54)

[66]
[66]:愛国婦人会筵製造(写真)(豊田豊家所蔵資料)

[67]
[67]:国防婦人会奉仕活動(写真)(館蔵加藤(五)家資料)

[68]
[68]:国防婦人会神社参詣(写真)(豊田豊家所蔵資料)

[69]
[69]:国防婦人会愛国甘酒販売(写真)(個人所蔵資料)

[70]
[70]:国防婦人会と旅の二人連れ(写真)(個人所蔵)

ページのtopへ戻る

 遺骨出迎えや合同慰霊祭(葬儀)に関する書類


[71]
[71]:焼香ニ関スル件(小亀家資料71-21)
※個人名は伏せています。

[72]
[72]:合霊祭ニ関スル件(小亀家資料71-28)
※個人名は伏せています。

[73]
[73]:遺骨出迎ニ関スル件(小亀家資料71-51)
※個人名は伏せています。

[74]
[74]:昼生小学校会場の村葬に参列する
大日本国防婦人会と愛国婦人会(写真)
(個人所蔵資料)

ページのtopへ戻る

A−2 愛国婦人会と国防婦人会のたすき

 愛国婦人会では、紺色の会服に襷をかけますが、写真をみると、国防婦人会が右肩から左脇へ斜めに掛けるのに対し、愛国婦人会では、左肩から右脇へ掛けています。このようなところからも、自身の所属する婦人会の活動に対するプライドを感じ取ることができます。


[75]
[75]:愛国婦人会三重県支部(集合写真)(小亀家資料)

[76]
[76]:神社前2人(写真)(豊田豊家所蔵資料)

ページのtopへ戻る

A−3 大日本婦人会の活動の痕跡

 大日本婦人会の時代は、戦争の悪化により国内の物資が不足し、食糧も不足しました。そこで、国策として学校の校庭や空き地を耕して農地にするようになります。これについて、婦人会に対しても、大政翼賛会が主催する素人園芸家への講習会に協力依頼がありました。また、さつまいもを持参しての疎開児童への慰問、人口問題に対する戦時結婚の斡旋など、国の政策に従った活動をおこなっています。また軍事援護事業においても、飛行機の潤滑油となるヒマの栽培実施への協力や、軍需工場で働く産業戦士へ藁草履の送付など、銃後の支援活動を積極的におこなっています。


[表5] 大日本婦人会坂下村支部活動内容(昭和18年12月〜昭和19年)
活動内容
昭和18年 大東亜戦争二周年記念講習会
昭和18〜19年 結婚斡旋
昭和19年 羊毛再生運動
産業戦士へ藁草履供出
故繊維特別回収実地
婦人会飛行機献納寄付
鈴鹿海軍航空隊慰問(鈴鹿市白子町)
蒲団・座布団提出
重爆千五百機製作婦人総進軍貯蓄運動協力
孟蘭盆及彼岸に於ける軍人軍属海員の遺族に対する慰問実施
蒲団・座布団寄贈
戦時農園指導講習会
疎開学童慰問
疎開学童慰問
秋季軍人援護強化運動実施
草履作製
勤労訓練所に図書寄贈
産業戦士用藁草履作製督促
震災罹災者に対する衣類寄贈
発明工夫展覧会出品
軍務用雑巾調整
(不詳) ヒマの実の採集


[77]
[77]:戦時農園指導講習ノ件(関町史編さん資料5-36-73)

[78]
[78]:戦時結婚(関町史編さん資料5-36-11)

[79]
[79]:疎開学童慰問ノ件(関町史編さん資料5-36-71)

[80]
[80]:軍務用雑巾調整方依頼ノ件(関町史編さん資料5-36-81)

[81]
[81]:鈴鹿海軍航空隊慰問ニ関スル件
(関町史編さん資料5-36-33)

[82]
[82]:軍事援護強調運動実施ニ関スル件
(関町史編さん資料8-1-26)

ページのtopへ戻る

B 戦後の婦人会

 戦後は、婦人会も新しい形へ変わっています。GHQにより女性解放政策がとられ、これにより新日本婦人同盟や主婦連合会など、新しい女性団体が結成されました。地域婦人会も戦時中までとは違う民主的な新しい形の婦人会として、昭和27年(1952)に全国地域婦人団体連絡協議会を結成します。敗戦直後のこの地域の婦人会の活動については、資料がほとんど見つかっていないので詳細は不明ですが、わずかにみつかった書類から、昭和21年4月には「地域婦人会鈴鹿郡連絡協議会」が結成されていたこと、また、鈴鹿郡婦人団体連絡協議会による戦災学校復興資金の寄付や「三重県復興宝籤たからくじ」の斡旋など、復興にむけての活動がおこなわれていたことがわかりました。


[83]
[83]:戦災学校復校資金壱千弐百円寄贈の礼状
(小亀家資料45-1)

[84]
[84]:宝籤たからくじについて御願ひ(小亀家資料45-3-1)

[85]
[85]:第2回三重県復興たからくじチラシ(小亀家資料45-3-3)

ページのtopへ戻る

コラム 婦人会活動で功績のあった小亀志江しえ

 婦人会でこの地域の戦前から戦後の婦人会において活躍した人物の1人に小亀志江がいます。小亀志江は、映画監督衣笠貞之助の兄衡一の嫁にあたります。履歴書によると、志江は、昭和8年(1933)4月に愛国婦人会の幹部となり、昭和11年(1936)4月から昭和15年(1940)5月までは、愛国婦人会三重県支部鈴鹿郡聯合分会長を務めています。また、同時期、亀山町分会長も務めていました。愛国婦人会では、分会長は、「原則として市町村長夫人ナルモ特別ノ事情アルニ依ル」と決められており、志江の夫、衡一が昭和11年(1936)3月〜昭和15年(1940)3月まで亀山町長を務めていたことから亀山町分会長に任命されたと思われます。
 その後、志江は戦後の婦人会においても活動し続け、鈴鹿郡連絡協議会会長や三重県婦人会副会長の任に就きました。さらにその後は、津地方裁判所家庭裁判所調停委員に委嘱されるなど、女性として活躍しています。
 今まで、この地域の戦前・戦中当時の婦人会活動の実態はあまりよくわかっていませんでしたが、この度、整理中の小亀家資料から当時の書類が多く見つかり、その一端が垣間見えました。また同時に、志江の婦人活動に対する真摯な思いも伝わってきます。


[86]
[86]:小亀志江(写真)(小亀家資料79-13)

[87]
[87]:小亀志江履歴書(小亀家資料79-13)


ページのtopへ戻る

C 現在の婦人会

 現在の市域の婦人会は、「亀山市婦人会連絡協議会」という名前です。平成27年度には、亀山城桜まつりや花しょうぶまつり・納涼大会・関宿街道まつり・成人式など市行事への協力の他、道の駅での花壇づくりや防災訓練・戦没者追悼式・献血運動PRなど、多岐にわたる活動を行っています。また、年間を通じた活動として、環境美化・3世代交流・独居家庭への配食・敬老会への参加も行っています。
 聞くところによれば、昔は、家に嫁が来ると姑は婦人会から脱会し、嫁が姑に変わって婦人会の会員となったそうです。このため、会員数が減ることはありませんでしたが、現在は核家族化が進んでいるため、この法則どおりにはいかなくなり、現在では会員も高齢化が進んでいるのだそうです。そこで、これまで行ってきた奉仕活動などの通常の活動以外にも、自分たちも楽しめるようにと、カラオケや茶道・さわやか体操など合計8つのサークルを設けているそうです。婦人会の歴史をふり返ってみると、時代に応じて形が変わってきていることがわかります。


亀山市婦人会連絡協議会規約


[88]:三重県婦人会連絡協議会選定三重県婦人会会歌ソノシート
(館蔵亀山市婦人会連絡協議会資料)

ページのtopへ戻る