葬送の民俗
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葬送(そうそう)の民俗




はじめに

 死者を弔い送る儀式としての葬送は、宗教や地域のしきたりによってさまざまな形式で行われてきました。近年は、社会の変化に伴って、葬送の形式の簡略化・画一化が進み、「地域に根差した葬送」は次第に消えようとしています。「地域に根差した葬送」が消えていくことは時代の流れですが、その中には、地域がどのように死を受け止め、乗り越えてきたかという「歴史」が含まれており、これからの葬送を考えるヒントが隠されています。
 このコーナーでは、市域の葬送に関する道具や写真を展示することによって、消えつつある「地域に根差した葬送」の一端を紹介します。


そもそも葬送(そうそう)とは何ですか?

 このコーナーにおける「葬送」とは、「死者の肉体や霊魂を葬り送る一連の民俗」のことであり、具体的には死亡の確認から始まり、通夜・出棺・野辺送り(葬列)・葬式・埋葬(火葬)・忌明け(仕上げ)・年忌などの段階を経て、弔い上げまでを指します。
 今回はこれらの中から特に「出棺」から「葬式」までの部分を見ていきます。

【参考】『民俗小事典 死と葬送』


葬送(そうそう)」の流れ
※地域や時代により異なる部分もあります。

死亡の確認
  ↓
死を関係者に知らせる
  ↓
通夜(つや)(ヨトギ)
  ↓
出棺前の式(死者の家における式)
  ↓
出棺(家から屋外に棺を出す)
  ↓
野辺送(のべおく)り(葬列)
  ↓
葬式(墓地における式)
  ↓
埋葬(または火葬)
  ↓
七日ごとの供養(初七日~)
  ↓
帰り日(かえりび)(死後一カ月目)
  ↓
忌明(いみあ)け(仕上(しあ/rt>)げ。四十九日など)
  ↓
百箇日(ひゃっかにち)
  ↓
年忌(ねんき)
  ↓
(とむら)()げ(五十回忌など)

展示品目録

1.葬列(橋爪家所蔵写真)

 出棺後に葬列を組んで墓地まで野辺送りをすることは、市域の農村部では昭和50年代~平成初め頃に止めたというところが多かったようです(町場でいつ頃に葬列を止めたかは明らかになっていません)。
 葬列では、いろいろな「野道具」を持つ役があり、死者との関係により役が割り振られました。役の種類や人数は、宗教や地域によって決まりがあり、役の割り振りに異論が出て、葬列が出発できないということもありました。
 この写真の葬列は、西町の商家の葬送におけるものです。この写真によって、昭和2年(1927)には、町場でも葬列を組んでいたことを確認できます。先頭から「花輪」「ろうそく」「灯籠(とうろう)」「四幡(しはた)」などが並び、奥には5人の僧侶、僧侶の中の導師にかざす朱傘、棺が見えます。

2.ガンブタをのせた棺桶(佐久間一夫家所蔵写真)

 昭和43年(1968)、田村町田村における葬送の一場面です。リアカーにのせた棺桶には、色紙などを貼って仕上げたガンブタがのせられています。

3.出棺風景(佐久間一夫家所蔵写真)

 昭和43年(1968)、田村町田村における出棺の場面です。棺桶が縁側から出され、リアカーにのせられようとしています。手前の野位牌(のいはい)を持った人物が喪主(もしゅ)で、頭に三角形の白い布を付けています。また、リアカーの前後に立つ「棺吊(かんつ)り」の役の人も同じ三角の布を頭に付けていることが分かります。

4.墓地における葬式風景(個人所蔵写真)

 昭和5年(1930)頃、平尾(両尾町)の墓地における葬式の風景です。前方の屋根の付いた建物は「火屋(ひや)」と呼ばれる火葬場、その前に棺が置かれ、導師は朱傘の下で曲彔(きょくろく)に座っています。画面右側には、白い布を頭にかぶり、白い着物を着た女性たちが並んでいます。まだ当時の平尾では、女性の喪服が黒に変わっていなかったことが分かります。

5.白い喪服(橋爪家所蔵写真)

 昭和2年(1927)、西町の葬送に参列した女性たちの写真です。頭に白い布をかぶり、白い着物を着ています。地域により時間差はありますが、次第に黒い着物、黒い礼服へと変わっていきます。

6.野道具(のどうぐ)の準備(川崎町所蔵写真)

 野道具の準備は、死者が出た家と同じ組や班の人々が行ってきました。近年は、葬祭業者が野道具を準備したり、野道具を省略したりすることも増えており、組や班の人たちの仕事は少なくなってきています。写真は、天蓋に色紙を貼って仕上げているところです。

7.野道具(のどうぐ)(山下町個人所蔵写真)

 葬列でそれぞれの役が運んでいた野道具は、葬列がなくなった現在でも準備されることがあります。葬式の間は庭先などに並べておき、出棺後に墓地へ運ばれます。写真は山下町のもので、画面左から「白張(しらはり)提灯(ちょうちん))」「天蓋(てんがい)」「沙籠(しゃろう)(灯籠)」「四幡(しはた)」が並んでいます。

8.蓮台(れんだい)輿(こし)

 棺をのせて運ぶ道具を「蓮台」とか「輿」などと呼びます。市域では、棺を運ぶ役は2人であることが多く、死者の(おい)(オイボシ)などが担当します。写真の蓮台は、田村町田村で保管されていたものです。

9.ガンブタ(棺蓋)をのせた棺桶(個人所蔵写真)

 昭和45年(1970)、両尾町原尾における葬式の様子です。手前には生花(せいか)金蓮(きんばす)・籠盛り・供物が並べられ、奥には棺桶が置かれています。棺桶には、色紙や金紙を貼ったガンブタがのせられています。

10.墓地における葬式(個人所蔵写真)

 昭和15年(1940)の墓地における葬式の風景です。霊柩車に野道具の提灯や灯籠が立てかけられ、その前で二人の男性が焼香しています。そして、奥には僧侶が立ち、朱傘をかざされた導師が曲彔(きょくろく)に座っています。

11.座棺(ざかん)用のガンブタ(棺蓋)(当館所蔵 山下町福満寺資料)

 ガンブタは棺の上に置く屋根状のもので、棺の上にかざす天蓋と同じような形で、「天蓋」と呼ぶところがあります。ガンブタも木製で、切り紙や貼り紙で飾って使いました。
 このガンブタは山下町で使われ、内側に「明治廿六(にじゅうろく)年第八月新整」「山下村内」と墨書されています。なお、このガンブタは座棺用の形状(正六角形)をしており、山下町では、遺体を座らせて納める座棺の棺桶(円形の桶)が使われていたということですので、棺桶の上にこれを置いて使ったと考えられます。

12.寝棺(ねかん)用のガンブタ(棺蓋)(当館所蔵 山下町福満寺資料)

 このガンブタは寝棺(現在使われるような箱形の棺)用のもので、座棺用とは異なり、長方形に作られています。上部には宝珠が付いていたと思われますが、壊れて失われています。内側には「明治廿六(にじゅうろく)年/第八月修繕/山下村内」と墨書され、少なくとも明治26年(1893)の「山下村」では、寝棺用のガンブタを所有していたことが分かります。
 しかし、山下町の聞き取り調査では、棺は「棺桶(円形の桶)」だったという話が聞かれ、展示している山下町の座棺用ガンブタも明治26年に新調されたものであったことを考えあわせると、明治26年の「山下村」では、座棺用と寝棺用の両方のガンブタが必要だったということになります。つまり、二種類の内のどちらかの棺を使って葬式を行ったために、二種類のガンブタが必要だったと推測できます。

13.ガンブタ(棺蓋)(当館所蔵 長明寺町自治会資料)

 聞き取り調査では、長明寺町の大正14年(1925)生まれのある男性が「棺桶を使う家もあったと聞くが、自分は寝棺を使った葬式しか見たことがない」と話していることから、早い時期から寝棺を使う家が多かったと考えられます。確かに、このガンブタは長方形に作られており、寝棺用のものと考えられます。

14.曲彔(きょくろく)(当館所蔵 長明寺町自治会資料)

 曲彔(きょくろく)とは、「曲木(きょくぎ)」とも呼ばれる僧侶が座るイスのことで、特に禅宗の僧侶によって盛んに用いられたとされますが、その他の宗派の僧侶が使うことも少なくありません。
 市域では、曲彔は主に屋外での行事や葬送で使われてきました。葬送に際しては、墓地における葬式でよく使われましたが、現在は墓地で行っていた葬式を、家などの屋内で行うことが多く、屋内で曲彔を使うこともあります。

15.朱傘(しゅがさ)(当館所蔵 長明寺町自治会資料)

 朱傘とは、僧侶にかざす大ぶりの朱色の傘のことです。屋外での行事で使われますが、葬送の場面では、葬列や墓地での葬式で使われました。この朱傘の内側には、「寂光山長明寺什物/遵性和尚代」「明治三十七年(1904)仲冬新調」「鈴鹿郡川崎村大字長明寺」「為両親菩提/松本丈次郎寄附之」と墨書されています。

16.火葬場における葬式(橋爪家所蔵写真)

 冒頭の写真で見た昭和2年(1927)の葬列が火葬場に到着して、葬式を行っている様子です。供物などが置かれた石机の前で手を合わせる人物、その前に「ろうそく」が立てられ、石製の棺台の奥に棺や野道具が置かれています。奥には葬列の先頭にあった花輪が立てられています。写真左手には、僧侶が控え、導師は朱傘(しゅがさ)の下で曲彔(きょくろく)に座っています。

17.龍頭(たつがしら)(当館所蔵 田村自治会資料)

龍頭は、「リュウガシラ」「カラス」「ジャ(蛇)」などとも呼ばれる龍の頭をかたどった道具で、灯籠(とうろう)(はた)天蓋(てんがい)をさげる竿の先に付けられます。自治会や組などで所有しており、借り出して使われます。葬列がなくなった現在も、道具を庭先などに飾る家が多く、その際に龍頭を借りています。
この龍頭は、平成19年に田村自治会から博物館に寄贈されたものです。新しい龍頭を作ったということで、古い龍頭が寄贈されることになったのです

18.灯籠(とうろう)龍頭(たつがしら)(佐久間一夫家所蔵写真)

 昭和43年(1968)、田村町田村の葬送の一場面です。出棺に際して灯籠の役が出発しています。灯籠をさげた竿の先には、龍頭が付けられていますが、おそらく展示している龍頭の内の一つだと考えられます。

19.天蓋(てんがい)(当館所蔵 山下町福満寺資料)

 天蓋とは、本来は貴人にかざす傘状の(おお)いであり、仏像の頭上に飾る仏具ですが、葬送の道具としては、ふつう棺の上にかざす小さな屋根状の道具のことを指します。この天蓋は木製で、切り紙や色紙を貼って仕上げて使い、葬式が終わると、貼った紙をはがして保管しました。この天蓋も貼った紙をはがした状態です。内側に「明治廿六(にじゅうろく)年(1893)第八月上旬整」「山下村内」と墨書(すみがき)されています。

20.天蓋(てんがい)(当館所蔵 長明寺町自治会資料)

 この天蓋は長明寺町で使われていたものですが、年号などの墨書もなく、詳しいことは分かっていません。天蓋の周囲の下部分には緑色の紙をはがした跡が残っており、色紙を貼って使っていたことがよく分かります。
 市域では天蓋を持つ役は重要な役とされることが多く、長明寺町でも死者の生家の跡取りなどが担当する役でした。



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