3.市域にのこる昔のおもかげ
市内を通る鉄道には、現在でも、開通当時につくられた橋梁内やトンネルなどがそのまま使用され、蒸気機関車(SL)が走っていた頃の名残を感じることができます。
このコーナーでは、その名残の場所を写真で巡ります。
このコーナーでは、その名残の場所を写真で巡ります。
(1) 亀山駅のSLの名残
時代がうつり変わり、列車も汽車から気動車や電車に変わりました。それにともない、亀山駅構内も使わなくなった建物や設備が取りこわされ、ずいぶん様変わりしました。
このような変化の中で、わずかながら亀山駅構内には、SLが走っていた頃の設備などが、現在も残されています。
[3-1]
3-1:転車台
西日本旅客鉄道株式会社
亀山鉄道部所管
亀山鉄道部所管
転車台は、蒸気機関車の方向を転換する時に使われました。ターンテーブルともよばれています。
[3-2]
3-2:高架貯水槽
西日本旅客鉄道株式会社
亀山鉄道部所管
亀山鉄道部所管
この高架貯水槽は、亀山駅ができた頃に建てられたもので、蒸気機関車に給水するために使われたタンクです。給水塔ともよばれています。
[3-3]
3-3:
レールを再利用した駅舎の柱
東海旅客鉄道株式会社
亀山駅所管
亀山駅所管
亀山駅では、駅ができた頃に敷かれたイギリス製のレールが駅舎の柱として再利用されています。
刻銘:CAMMELL・S.TOUGHENED STEEL.W.1890.K.T.K.SEC 351
※1890=明治23年 K.T.K=関西鉄道株式会社
※1890=明治23年 K.T.K=関西鉄道株式会社
(2) 加太地区にのこる鉄道敷設の痕跡
市内を通る線路では、あちこちで鉄道敷設当時の痕跡をみることができます。中でも加太地区では、その痕跡が色濃くのこっており、市民グループの加太鉄道遺産研究会がJR西日本と連携して、景観の維持や鉄道建設技術の伝承などの活動をおこなっています。
[3-4]
3-4:坊谷のトンネル
(坊谷隧道)
西日本旅客鉄道株式会社所管
坊谷につくられたこのトンネルは、加太地区にある3つのトンネルのうちのひとつです。明治23年(1890)11月に完成しました。レンガや石を使ってつくられたトンネルで、馬のひずめの形をしています。
[3-5]
3-5:加太川にかけられた橋
(坊谷川橋梁)
西日本旅客鉄道株式会社所管
坊谷のトンネルの加太駅側にある加太川にかけられた鉄道の橋の橋脚は石積みです。橋脚の上流側の側面はとんがっていて、水の力で橋が壊れないように、水が切れるようになっています。
[3-6]
3-6:牛谷川をまたぐ橋
(市場川橋梁)
西日本旅客鉄道株式会社所管
加太駅の近くを流れる牛谷川をまたいでいるこの鉄道の橋は、ほぼレンガで造られています。
[3-7]
3-7: 加太川にかかる橋
(屋渕川橋梁)
西日本旅客鉄道株式会社所管
この加太川をまたぐ鉄道の橋も石積みの橋脚です。
[3-8]
3-8:加太川にかかる橋
(板屋川橋梁)
西日本旅客鉄道株式会社所管
この鉄道の橋の橋脚は、河原に石とレンガを使って建てられています。坊谷川橋梁同じように、上流側の側面はとんがっています。
[3-9]
3-9:第165号架道橋
西日本旅客鉄道株式会社所管
加太板屋の浄専寺の近くにある林道「板屋線」をまたいでいるこの鉄道の橋は、石とレンガでできた小さな橋です。
[3-10]
3-10:大和街道架道橋
西日本旅客鉄道株式会社所管
大和街道にかかるこの鉄道の橋は、アーチの部分までを石で、それより上の壁はレンガで装飾されています。上部のレンガ部分には、石製の扁額がありますが、文字は書かれていません。
3-11:大崖川橋梁
西日本旅客鉄道株式会社所管
この鉄道の橋は、蒸気機関車の撮影スポットであった高堤防の下にあり、加太川にかけられた橋です。土台などは石で造られ、内側の上部にはレンガがはられています。
[3-12]
3-12:中在家信号場
西日本旅客鉄道株式会社所管
平成31年(2019)1月31日撮影
同社亀山鉄道部写真提供中在家にあるこの信号場は、駅ではないので、乗客が乗り降りすることはできませんが、加太越えをする蒸気機関車が、蒸気の力を溜めるために、少しの間停車していた場所です。この場所に到着した蒸気機関車は、引き込み線とよばれる線路に入り停車します。そして十分に蒸気を溜めた後は、バックで本線に戻ります。このように列車がジグザグに移動しながら進む方法をスイッチバックといいます。
蒸気機関車がなくなった後は、列車のよけ合いのために使われました。しかし、平成18年(2006)3月のダイヤ改正で、よけ合う必要がなくなり、スイッチバックは終了しました。今では、引き込み線も撤去されて、わずかな痕跡だけがのこっています。
[3-13]
3-13:
加太と柘植の境目にあるトンネル(加太隧道)
写真提供
加太と柘植の境目にあるトンネル(加太隧道)
西日本旅客鉄道株式会社所管
亀山市まちなみ文化財G写真提供
加太と柘植の境目にある加太トンネル(加太隧道)は、柘植方向へ急勾配が続く、関西鉄道時代に造られた最も長いトンネルで、930メートルあります。日本で初めての「立坑」という工事方法で造られました。坊谷のトンネル(坊谷隧道)と同じく、アーチは馬のひづめの形をしています。
ちょっとだけ、こぼればなし。
会場では紹介できませんでしたが、市内を通る鉄道には、これまで紹介した加太地区以外でも鉄道敷設の痕跡をみることができます。そして、加太地区と同じように、橋の橋脚には石やレンガがつかわれたようすを見ることができ、当時の建設技術を知ることができます。せっかくなので、加太地区以外でも見ることのできる場所をちょっとだけご紹介します。
①市の湯川橋梁
②大和川橋梁
③鈴鹿川橋梁
④備後瀬架道橋
① | 市の湯川橋梁 | : 関町新所の加太川にかかる橋 |
② | 大和川橋梁 | : 関町新所の加太川にかかる橋 |
③ | 鈴鹿川橋梁 | : 阿野田町の鈴鹿川にかかる橋 |
④ | 備後瀬架道橋 | : 中庄町の県道648号鈴鹿芸濃線をまたぐ橋 |